
Hakase Oki/Masanori Nishikawa
大木ハカセ / 西川昌徳
アウトドアプロモーター / サイクリスト・旅人
冒険で教育を変える!
世界一周を目指し旅するサイクリストの、
世界各地と日本を繋ぐSkype交流授業
自転車で世界旅を続けるサイクリスト西川昌徳とアウトドアプロモーターの大木ハカセがタッグを組み、子供の教育現場で新たな試みを模索している。『ちきゅうの教科書』−−−世界への興味と冒険心を日本の子供たちに伝えるSkype交流授業プロジェクトだ。
大木ハカセ / 西川昌徳
アウトドアプロモーター / サイクリスト・旅人
冒険で教育を変える!
世界一周を目指し旅するサイクリストの、
世界各地と日本を繋ぐSkype交流授業
自転車で世界旅を続けるサイクリスト西川昌徳とアウトドアプロモーターの大木ハカセがタッグを組み、子供の教育現場で新たな試みを模索している。『ちきゅうの教科書』−−−世界への興味と冒険心を日本の子供たちに伝えるSkype交流授業プロジェクトだ。
ファウスト A. G. アワード 2011冒険家賞を受賞した北極冒険家、荻田泰永が所属する一般社団法人N.A.Pを主宰する大木ハカセ。所属するのは冒険家、荻田泰永と西川昌徳。大木は彼らの冒険のマネージメントやサポートを行っている。音楽プロモーターやアウトドアイベントのプロモーターとして活躍してきた大木が、その事業を辞め、2012年にN.A.P.を設立した理由とは? 大木自身が挑戦する冒険とは? 西川がサイクリストとして世界一周を目指し、教育プロジェクトを立ち上げることになったきっかけとは?
冒険や旅とはこうして、いつも身近なところから始まり、身近な所に帰ってくるものなのかも知れない。託す未来へと繋げるために。
大木:僕自身、アウトドアマンの一人として阪神大震災や東日本大震災で復興支援をしてきました。その中でいつも感じるのは『アウトドアは人の命を救える』んじゃないかということ。なぜなら、僕らアウトドアマンは例えば津波に襲われた時、どうすれば助かるのか、凍える中、濡れた流木にどう火をつけて暖を取るのかという術を知っているからです。ただ、そういった生き延びる知識を持っていない人が多いんです。阪神大震災から20年くらいでまた未曾有の震災が起こった。ということは今後また、大災害が発生する可能性があると感じました。ただ、自然災害が多いという事は自然がそれだけ豊かであるという事でもあります。それであればこの豊かな自然との係り方をもっときちんと波及する事で、より多くの命を救う事が出来るのではと思ったんです。
北極冒険家荻田さんが子供たちを連れて歩く『100マイルアドベンチャー』というイベントも主宰していますね。
大木:子供たちに冒険イベントなどを通じてアウトドアに興味を持ってもらい、楽しみと挑戦の中から日常に活きる何かを学び取ってもらえればいいなぁと。例えば、今、僕らが10万人の子ども達にアウトドアの楽しみをきちんと伝えられるとします。そうすると10年後、日本のアウトドア界は確実に拡大するでしょうし、日本がアウトドア大国になる事も夢ではないと考えています。それが僕自身の冒険であり、挑戦ですね。
西川さんが所属することになった経緯は?
大木: 2014年の8月に知人の紹介で西川と初めて会いました。これまでもいろんな冒険家がN.A.P.を訪ねてくるのですが、記録に挑戦する冒険家や登山家が多く、そうでない場合もN.A.P.に対して何かしらのサポートを求めてくる方が多い。ところが西川の場合、自転車で世界を旅しているというんですが、話を聞いてみると記録への挑戦などより、旅の途中でボランティアをすることや、小学生を相手にSkypeを使って交流する事を目的としているというんです。それで、これは面白いと思ったんですよね。そこで、ピンときて、N.A.Pに誘ったんです。
その西川さんは、どういう経緯で自転車世界旅を始め、Skype交流授業を始められたんですか?
西川:僕は小さい頃から自分には何か特別な才能があるんじゃないかとずっと思ってきたんですが、勉強もスポーツもそれほど得意じゃないなと(苦笑)。大学に入って、「自分はこれが得意だ」という何かを見つけたくてバックパッカーとして旅をするようになりました。世界各地でいろんな人に出会って話を聞き、様々な体験をして旅の魅力に気づき始めたんですね。そんな頃、大学3年の時にオランダで、自転車でヨーロッパを旅しているという70歳くらいの日本人のおじいちゃんに出会いました。おじいちゃんが自転車で世界に飛び出して旅をしているって事実に驚いて。それで、ただ旅をするのではなく、自分も自転車で世界を回るということに挑戦しようと思ったんです。
最初に日本一周に挑戦しましたよね。日本からスタートした訳は?
西川:バックパッカーの旅をしていた時に、海外の人から日本の事をいろいろ聞かれるんですが、自分もあまり知らないということもありまして。大学卒業後に海岸線をメインに7か月かけて17,000km走りました。
そこから世界に飛び出したのは自然なことでしたか?
西川:日本を回っていると、言葉が通じるのでトラブルがあっても何とかなるし、何か「守られている」と感じたんですね。やはり海外に出なければと。
それで2007年にユーラシア大陸横断を目指して、まず上海まで船で行き、そこからタイ、チベットを経由して横断する予定だったんです。ところが、当時チベットで暴動が起こって入国できなくなったり、2008年5月には中国で四川大地震が起こったりと大変なことになっている訳です。これは旅をしている場合じゃないなということで、地震発生時は1000kmくらい離れた町にいたんですが、知り合いの伝手を頼って2週間かけて現地入りしたんです。そこで小さい子供が瓦礫の撤去をしているのを見て、自分も何か力になりたいと思い、神戸から来ていたNPOに合流して、結局、5か月ほど現地に留まってボランティアとして支援活動をしました。その経験から、ボランティアに対する自然な思いが沸き起こってきたんです。ボランティアといえば、未だに世界中から多くのボランティアが集まるインドのマザーテレサハウスに興味が沸き、そこで一人一人と向き合ってみたいと思い、マザーテレサハウスの自閉症孤児院に1ヶ月ほど滞在して交流しました。当初、ユーラシア大陸横断を目指したんですが、結局、2年くらいかけてインドまでしか行けず、資金もショートしたので帰国を決意しました。この時は結局アジアの旅になってしましました。
帰国後、東日本大震災時にボランティア活動をしていますが、そのこととSkype交流授業の立ち上げとは関係がありますか?
西川:災害が起こった時に、テレビを見ていたら、日本一周をしていた頃にお世話になった町が被害を受けていた。福島県新地町という所ですが、もう居ても立ってもいられず、当時していた仕事の契約が終了したこともあり、神戸の家を引き払って現地入りしたんです。紆余曲折あり、福島県新地町災害ボランティアセンター職員として半年ほど住み込みで活動し、結局1年間くらい関わりました。当時、旅の講演会もしていたんですが、折角子供たちと出会っても、頻繁に同じ場所で講演をすることがないんですね。そこで関係が切れてしまう。何とかそこで知り合った彼らの成長に関わっていきたいと思い、かねてから温めていたSkype交流授業を企画しました。企画書を作って教育委員会に提案したところ新地町立駒ケ嶺小学校を紹介され、Skype交流授業をすることが決定したんです。
Skype交流授業の反響はいかがでしたか?
西川:その頃、僕も新地町のボランティアを終え、通常の自転車旅の生活に戻りました。
2012年からのユーラシア大陸の自転車旅に出てからはネパール、インド、イラン、ドイツなどなど、月1回のサイクルで45分間授業を、1年目に計10回開催しましたし、次の北アメリカ縦断では6回ほど行いました。内容もネパールでは現地の小学校と繋いだり、インドでは町に出て、子供たちの指示で市場に行って話を聞いたり町ゆく人に質問したり、アラスカでは現地で暮らす日本人ご夫妻に寒冷地での生活を聞いたりと内容は様々です。
このSkype交流授業を通じて、子供たちが僕自身の夢や冒険、海外の様々な国の文化や生活などに興味を持ってもらえるんです。そうすると、現地の人と話したいから英語を勉強したり、その国の事をもっと知りたいという欲求が出て、自発的に調べたりするんですよ。教育現場でよく問われる、「なぜ勉強するのか?」という答えがここにあると思うんです。
現在は駒ケ嶺小学校だけの授業ですが、より多くの学校とつないでたくさんの子供に対して授業をしては?
西川:技術的には可能です。ただ、今より多くの子供たちもつながると僕と一人一人の距離感というか、関係性が希薄になってしまうんです。だから、僕がより多くの子供とつながるというよりは、僕以外にSkype交流授業ができる冒険家なりを育成するほうがよいという結論になりました。そこで大木と『ちきゅうの教科書』というプロジェクトを立ち上げ、Skype交流授業の更なる発展を模索しています。
大木:「地球上の様々な場所から日本の子ども達の好奇心、学習意欲を掻き立てる」のがskype交流授業であり、『ちきゅうの教科書』です。地球上ですから海外にこだわっている訳ではありません。例えば、日本の山奥で活動しているマタギや山伏なんて職業の方々とも子供たちをつないでみたら面白いと思っています。
冒険で教育を変える。Skype交流授業を考案した西川と、その発展系を構築する大木。この二人によって日本の教育現場が変わっていったら面白い。将来、さらに多くの冒険家が誕生することを期待したい。
《自転車旅実績》
2006年 | 自転車日本一周(15800km) |
---|---|
2007年~2009年 | アジア(7カ国17000km) |
2012年~2013年 | ユーラシア横断達成(13200km) |
2013年~2014年 | 北アメリカ大陸縦断(2カ国8000km) |
2014年 | オーストラリア横断(5000km) 東南アジア縦断中 |
《支援活動実績》
2007年 | カンボジア日本語学校ボランティア |
---|---|
2008年 | 中国四川大地震災害ボランティア インド・マザーハウスボランティア(自閉症孤児院) |
2009年 | ネパール山間部教育支援 |
2011年 | 福島県新地町災害ボランティアセンター職員 |
2012年~ | 福島県新地町立駒ケ嶺小学校Skype交流授業 |
アウトドアプロモーター / サイクリスト・旅人
大木ハカセ / アウトドアプロモーター(写真左)
1975年4月8日生まれ。千葉県船橋市出身。一般社団法人N.A.P.代表理事。幼少期よりアウトドアに多大な影響を受けて育つ。バックパッカーとして世界を旅したのち、広告制作、音楽プロモーター業に携わり数多くの野外イベントを手掛ける。2012年に北極冒険家の荻田泰永(ファウストA.G.アワード 2011冒険家賞受賞)が所属する一般社団法人N.A.P. (Northpole Adventure Project)を設立。冒険家のマネージメントやサポート活動をはじめ、アウトドアの波及を目的とした野外イベントや大会の運営、地域再生サポート等を行っている。また、災害支援チーム“結ぶプロジェクト”の代表を務めこれまでに培ったアウトドア経験を元に災害現場での支援活動なども精力的に行っている。『ちきゅうの教科書』 カリキュラム構築責任者。
西川昌徳 / サイクリスト・旅人(写真右)
1983年兵庫県姫路市生まれ。一般社団法人N.A.P.所属 サイクリスト・旅人。 大学時代からバックパッカーとして旅を始める。22歳の時、オランダでの自転車で世界旅行をする日本人との出会いを契機に、以降、自身でも自転車による世界一周を目指して活動開始する。世界を自転車で旅するかたわら、「冒険✕教育」をテーマとした教育支援活動を実施。地球上のさまざまな地域と日本の小学校とをSkype(インターネットテレビ電話)でつなぐ授業や、自転車旅、ボランティア活動で得た経験を伝える講演(出前授業)を、小中学校をはじめとした教育機関で行う。2012年より新地町立駒ケ嶺小学校の総合学習授業を担当(Skype交流授業)。現在、一般社団法人N.A.P代表理事のアウトドアプロモーター、大木ハカセとともに冒険家たちによる義務教育プログラム『ちきゅうの教科書』の実現に向けて活動中。『ちきゅうの教科書』 現地講師育成担当。
N.A.P 公式サイト
http://northpoleadventureproject.jimdo.com
サイクリスト西川昌徳公式サイト
http://www.earthride.jp/
Text:Hijiri Ishii
Photo:Faust A.G.(Portrait), N.A.P.
2014/12/24
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