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05 INTERVIEW

Ryuzo Shinomiya

篠宮龍三

プロ フリーダイバー

Profile

真の冒険は海の深いところにある

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およそ一カ月後、この男の名前が世界中を駆けめぐるかもしれない。
篠宮龍三(しのみや りゅうぞう)──日本が世界に誇るプロフリーダイバーである。
フリーダイビングとは、タンクなどの呼吸器材を一切使わずに、ひと息でどれだけ潜れるのかを競うスポーツだ。ヨーロッパでは半世紀以上前から競技会が行なわれ、とりわけイタリアやフランスでは、かなりの人気を誇っている。ラテン語では「息こらえ」を意味する『APNEA(アプネア)』という呼び名で通っているが、日本では「素潜り」と言ったほうが分かりやすいだろう。
篠宮は『アプネア』の5つの種目で、通算25個の日本・アジア記録を樹立している。2008年4月7日には、脚力のみで潜行・浮上する「コンスタントウィズフィン」で101メートルを記録した。1976年11月11日生まれの日本人は、100メートルを越えた深海を知る史上7人目の人間となったのだった。本場フランスや韓国のダイビング専門誌にインタビューが掲載されるなど、フリーダイビングの世界では注目度大のトップアスリートである。
映画好きのFaustであれば、「素潜り」と聞いてジャック・マイヨールを思い出すかもしれない。1927年4月 1日に上海で生まれたこのフランス人は、1976年11月、人類史上初めてとなる素潜りでの100メートル潜行を成し遂げた。彼の自伝的映画『グランブルー』を観て、深海への憧憬を深めた日本人は少なくないはずである。
「そこにはブルーしかない。私の身体は重い水の塊にのしかかられ、次第にまわりのブルーに溶けていくようだった。上も下も左も右も、すべてが同じブルーに包まれる深海である。それを私たちは、グラン・ブルーと呼ぶ。太古の昔、人間の祖先が住んでいたであろう世界だ」 ──ジャック・マイヨールが語りかける世界には、背筋がぞくりとするような恐怖と、恐怖を飛び越えた先にある究極の官能を思い起こさせた。
篠宮もそんな世界に魅せられたひとりである。小さな偶然から始まる大きな野心が、彼をグランブルーへと誘った。
 

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篠宮さんが素潜りを初めてきっかけは何なのでしょう?

『グランブルー』という映画を見たのがきっかけです。大学のキャンパスの近くにダイビングショップがあって、そこのオーナーさんがジャック・マイヨールと知り合いで、トレーニングパートナーをしていたんですね。学校帰りにショップへ寄って、色々な話を聞いているうちに、どんどんハマっていきました。いま考えると、本当にラッキーな出会いだったと思います。

もともと泳ぎは得意だったのでしょうか。同時に、海が好きだったのでしょうか?

いえ、泳ぎはさほど得意ではありませんでした。小学生の頃に、夏休みに家の近くのスイミングスクールで基本的な泳ぎを習った程度でした。それでも、普通に泳ぐのは問題ありませんし、泳ぐことは大好きです。遅いですけれど(笑)。

大学卒業とともに一度はサラリーマンになり、27歳でプロのフリーダイバーに転身したわけですよね? そのタイミングで篠宮さんの背中を押したものは何ですか?

1970年に、ジャック・マイヨールが伊豆の海で76メートルという当時の世界記録を達成しています。会社員時代は毎週末に伊豆へ通ってトレーニングをしており、いつかはジャックの76メートルを日本記録としてフォローしたいな、と考えていました。それもやはりジャックが記録を達成して、僕がトレーニングをしていた伊豆でという思いがありました。

それが、現実となったわけですね。

2003年にその76メートルという記録に挑戦し、成功することができました。そしてその記録が、当時の世界歴代で8位に入りました。「これはいける!」と思いました。「世界の頂点が見えてきた! もうこれは会社を辞めて世界一を目ざすしかない!」と考えて、思い切って会社を辞めました。そして現在は、2008年の世界ランクが2位、世界歴代4位まで順位をあげてきました。

フリーダイビングの楽しさとは?

身体ひとつで海と対話ができる、ということです。陸上の世界では、お金を払えばエベレストの頂上でも、北極でも南極でも、最近では宇宙さえも行くことができます。そういった意味での本当の冒険は、もう存在しないかもしれません。しかし、海の深みへ身体ひとつ、素潜りで100メートルまで行くというのは、どんなにお金を払ってもできることではありません。自分の力で行かなければならない。アポロ計画で月面に着陸したのは12名しかいませんが、素潜りで100 メートルの深さまで行ったことのある人数は、世界でまだ10名もいないのです。真の冒険は海の深いところにある、と考えています。

では、逆に難しさとは?

心と身体をひとつにすること、そして己と海をひとつにして、恐怖をコントロールすることですね。フリーダイビングはメンタルの影響がとても大きなスポーツで、心の動揺や焦りがパフォーマンスの低下につながります。気持ちがドキドキしたりしていると、息が続かなくなってしまいますから。

恐怖心はない?

いえいえ、ありますよ(笑)。ただ、パニックになる臨界点を超えないようにすることが大事で、自分をコントロールできればある程度の恐怖は問題ないんです。広い海のなかでは、人間というのは本当にちっぽけな存在です。ちょっとした判断のミスや驕り、慢心などから、本当に痛い目に遭うことがあるんです。

生命の危機を感じるようなアクシデントに、直面したこともあるわけですか?

初めて90メートルに到達したとき、焦ってしまってパニックになりました。当初のダイブプランでは85メートルくらいを目ざしていたのですが、90メートルのマーキングが見えたので、無理をして欲をかいて、そこまで行ってしまいました。そしてボトムで「きちゃった!」「ヤバイ!~」と大パニックに……。

それで……?

水面までガンガンにキックして、有り得ないほどのスピードで上昇していきましたが、途中で酸欠により意識が飛んでしまいました。水面で仲間にレスキューされてようやく意識を取り戻しましたが、本当に無茶なことをしてしまい、危ない思いをしました。その体験がトラウマとなり、それから2年間ほど泣かず飛ばずのスランプ状態でした。

そのスランプを脱出して、100メートルへ到達していくわけですが、どのように自分をスケールアップしていったのでしょう? あるいは、どのようにして「自分を変えた」のでしょうか?

精神的に、キッパリと覚悟を決めました。それが一番大きいです。やるしかないんだ! と。2006年に98メートルまで到達したにもかかわらず、2007 年も100メートルには辿り着けませんでした。あまりの悔しさに、「ここまでやってきたんだから、絶対あきらめない! 絶対にできるんだ! 負けない!」と、自分を追い込んでいったんです。

肉体的には?

それまでの自分に一番足りなかった要素である、肺の柔軟性を高めるためにヨガを取り入れていきました。それ以前もやっていたのですが、もっと積極的にやっていくようにしたんです。5年ほど前から交流のあるハワイ島在住のヨガマスターを久しぶりに訪ねて、呼吸法、胸郭のストレッチなどのヨガのアーサナ(体位・ポーズ)を教示して頂き、そこからフリーダイビング用にアレンジして取り入れていきました。
 

それはどのような効果を目的としたものだったのですか?

毎朝行うことで、柔軟性を高めていきました。また、30歳をまたいで、トレーニングをやり過ぎないことも考えるようになりました。量より質、効率を高めて練習をして、疲れを残さないようにしたのも奏功したと思います。環境的なところで言えば、沖縄に移住したのが一番の好条件の要素になります。以前は伊豆でトレーニングしていたのですが、やはり80メートルを過ぎると暗く、冷たくなってきます。沖縄のちゅら海は温かく澄んでいて、とても潜りやすいんですよ。

グランブルーの世界を言葉で表すと?

50メートル、60メートル、70メートルと深く潜っていくと、その青が暗闇に近づいていくと言いますか、青い闇と言いますか……僕らフリーダイバーは、それをグランブルーと呼んでいるんです。地球とか宇宙とか、そういった壮大な言葉が頭に浮かんでくるような。地球上の青をすべて集めたかのような、そんなブルーですね。本当に美しい世界です。

その美しい海を大切にするために、篠宮さんは『ONE OCEAN』というプロジェクトを立ち上げていますね。

自分という存在は「自」然の「分」身なのではないかと僕は考えます。相手を傷つけたら、自分が傷つく。本質的には自分と自然はひとつで、自然を傷つけることは自分を傷つけることに他ならない──そんな風にみんなが思うことができたら、何をすべきかが分かるんじゃないかと思うんです。海はひとつにつながっていて、海の仲間たちをひとつにつなげてくれる。だからこそたったひとつの海を大切にしようというメッセージを発信していきたいと思っています。

具体的な取り組みについてはいかがでしょう?

多くの人にとって「気づき」となるような啓発的なムーブメント、関わり合いのあるプロジェクトにしたいと思っています。具体的には、オーシャンアスリートのトップ選手を集めて『ONE OCEAN サミット』を開催して海の環境を話し合ったり、写真展、映像展を開いたり、など。フリーダイビングだけでなく、他のオーシャンスポーツ──サーフィン、ウインドサーフィン、カイトサーフィン、ウォーターロックラグビー、ボディーボード、スタンダップパドルなど ──と連動した大会を、『ONE OCEAN』をテーマに沖縄でやりたいと思っています。イメージとしては、「海のオリンピック」といった感じでしょうか。ひとつの海を共有しながら海の環境や将来を考え、陸へ向けてもメッセージを発信していきたいと考えています。

 

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それでは最後に、4月1日にバハマで開幕する『バーティカルブルー フリーダイビング チャンピオンシップ』の目標を聞かせて下さい。

4月1日に、115メートルの世界新記録に挑戦します。それは、ジャック・マイヨールの誕生日が4月1日であることと、彼が初めて世界記録を作ったのが、今回大会が行なわれるバハマの海だったことからです。ジャックのフォロワーとして、改めてその偉業をリスペクトするとともに、大きな力をもらえるのではないかと思っています。

地元沖縄でのトレーニングを打ち上げた篠宮は、2月23日にバハマへ向けて出発した。4月1日のトライアルへ備えて、現地で最終調整に入っている。

「いよいよ世界記録への挑戦です。自己ベストプラスあと10メートルで世界新です! 世界新をシャープに更新してきます」

出発直前の篠宮から、Faust A.G.へメールが届いた。彼の名前が全世界を駆けめぐるまで、あと一カ月と少し──。

 

Data

篠宮龍三 オフィシャルサイト「アプネアワークス」
http://www.apneaworks.com/

 

篠宮龍三 Blog「Ryuzo Apnea Blog」
http://blog.apneaworks.com/

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Ryuzo Shinomiya
篠宮龍三

プロ フリーダイバー


1976年11月11日生まれ。プロ フリーダイバー
世界で7人目、アジア人で初となる水深100mに辿り着いた男(2008年4月バハマにて記録)。日本国内で唯一のプロ選手。沖縄に在住し、国際大会を中心とした競技活動のかたわら、スクールやフリーダイブの大会を運営。現在は、海の保護やマリンスポーツの活性化を目的とした「ONE OCEAN」プロジェクトを立ち上げ、世界に向けて発信中。

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2014/04/30

自由と勇気

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