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05 INTERVIEW

Dai Tamesue

為末 大

プロハードラー

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貢献の意思がアスリートを強くする

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サムライ・ハードラーとも呼ばれる日本を代表するスプリンター。一流アスリートであるとともに、競技の世界を飛び越えた発想と着眼、人脈でも知られる異彩の彼は、3・11の東日本大震災後、その日ごろの活力をいち早く転嫁し、数多くのトップアスリートたちに呼びかけ、義援金を募る活動を展開した。彼が「ジャストギビング」にて結成したTEAM JAPANが募った義援金は3200万円を上回る(2011年10月現在)。アスリートたちが持つ社会へのメッセージ性と社会貢献とをみごとに結び付けた、その研ぎ澄まされた思考に迫る。

アスリートの存在意義と社会的責任

――近年、日本でもアスリートの社会貢献活動が増えてきているように感じます。為末さんは、「アスリートの社会貢献」について、どのようにお考えですか。
そこには、ふたつの観点があると思います。
ひとつは、野球、サッカー、ゴルフなどは別にして、そもそも我々の職業、いわゆるアマチュアスポーツでは、生活を成り立たせるのがかなり難しい状況がある。ですからそういう意味で、なぜアスリートが社会にいる必要があるのかということを、我々は説明する必要にせまられるんです。発展途上国だと、世界に国の名前を知らしめるとか、国威発揚ということで説明がつくんですが、日本のような成熟した国になってくると、やっぱり我々が何かを社会に提供しているという納得感がないと、社会が支えてくれないと思うんです。(社会状況の変化によって)今までは、ただ頑張って結果を出しますというだけでよかったところが、自分がどんな姿勢でどんな人生を生きているかということを、きちんと示す必要が出てきた。そのなかに、必ず社会貢献的なものが関わってくるんじゃないか、ということです。



もうひとつは、僕らの人生というのはクジ引きみたいなもので、最初に何十万という人たちに、スポーツができる環境を作るという社会的コストがかけられているんですね。そのなかから選抜されていって、最終的に選ばれたひとりがメダリストや世界で通用する選手になる。であれば、トップまで行った選手には次の裾野を支える社会的責任があるんじゃないか、というのが僕の考えです。最初のうちはまったくの無償でコストがかけられているわけですから、自分自身の業界(競技)と社会に対して、何かを還元しましょう、と。しかもアスリートは、自分が世の中に対して何かできる力を持っているということに目覚め始めてきたんです。そのふたつが今、アスリートが社会貢献、すなわち社会に対して何か働きかけたいと思う一番大きな理由なんじゃないかなと思います。

――アスリートたちが、より社会貢献活動に積極的になった背景は何でしょうか。
バスケットボール(bjリーグ)などのように、地域スポーツが増えたことも大きいような気がします。そのことによって、選手は地元と自分がリンクしているという感触を少しずつ得るようになったのではないでしょうか。社会貢献というと大袈裟かもしれないですが、自分たちと地元の人たちとの間に何かの還流が起きるということは、チームが成り立つ上ですごく重要なことで、その意識が選手たちに芽生えてきているんじゃないかなと思います。もちろん、企業スポーツの場合でも、選手は同じ構図で企業と向きあうべきなんですが、ちょっと実感しにくかったというのもあるのかもしれません。

――自分の競技の「次の裾野を支える」というのは、ある意味でトップアスリートの責任だとしても、そこにとどまらず、社会全体に働きかけようとする動きは、アスリートの社会貢献が一歩進んだということでしょうか。
もともとあったものだとは思うんですが、確かに近年、加速していることだと思います。一番大きいのは、特に日本の場合、アスリートの行動や言動はメッセージ性が強いということに気づいたからではないでしょうか。その人が持つパワーということで言えば、芸能人の方のほうが有名だし、事業をされている方のほうがお金はある。あるいは、政治家の方のほうが実際のパワーがあるんだと思います。
ただメッセージ性、つまり人々を啓発したり、心を動かしたりする強さというのは、たぶんアスリートのほうがずっと強くて、けれど今までは「黙してグラウンドで」という姿勢が多かった。最近になってようやく、グラウンドの外でもメッセージを発してもいいんだと選手たちが気づき始めたということだと思います。自分が思うこんな社会だったらいいんじゃないかという理想を、自分が参画することで多少なりとも実現できるんじゃないか、と。これはたぶん、自分のパワーを実際に感じられる機会が多いプロ野球などでは、以前からあった概念だと思います。でも、アマチュアのアスリートはあまりパワーを感じる機会がなくて、自分たちには社会を変えるような力はないという、ちょっと引っ込みがちだったものが、この何年間かで選手たちが少しずつ前へ出てきて、「自分にできることで社会に貢献していこう」、「どうもそれができそうだ」という感触を、選手たちが得たことが大きいような気がします。

アスリートのメッセージ性とその使い方

――為末さん自身、アスリートの持つメッセージ性という独自のパワーに気がついた、何かきっかけがあるのですか。
2007に世界陸上(陸上の世界選手権)が大阪で開かれて、当時、僕は目玉選手として扱われていたにもかかわらず、予選落ちしてしまったんですね。そのとき、いくつかいただいたメールのなかで、「自分の人生に対してすごく影響があった」というような話を書かれた方がいらっしゃって。こっちはただやりたいようにやっているだけなのに、それが他人の人生に影響を与えることがあるんだな、と感じました。それまでは、社会に対してどうこうというのはあまり考えたことはなかったんですが、もしかしたら、もっと自分のメッセージを社会に出していってもいいんじゃないかな、と少しずつ思うようになりました。自分の思うことをもっと発信したり、自分の思う行動をもっとやったりしていいと思うようになったのは、そのへんがきっかけのような気がします。

――メダルを獲得するなど、勝った大会で人々に何らかのポジティブな影響を与えたというなら、とても分かりやすい話ですが、負けた大会で、というのが印象的ですね。
アスリートというのは結果で評価されるし、もちろん僕も結果で示すべきだと思っていたんですが、それ以外の評価軸というか、結果以外にも自分たちには役割があって、それは自分が思っているよりも結構大きいんじゃないかなっていうことを、そのときに思いましたね。予選で落ちて、本来は社会に何もインパクトを与えられていないはずが、どうも違うところで与えていた。そのことで、メッセージ性というか、選手たちが何かすることの威力みたいなものを感じました。

――ただ、アスリートが発する社会的メッセージは、えてして抽象的なものになりがちですね。そこに納得性を持たせるためには、何が必要でしょうか。
アスリートの社会貢献活動にありがちなのは、昔はこれがほとんどだったと思うんですが、後ろで誰かが操っていて、選手はただ乗っかっているだけという「乗っけられている感」ですね。これが消えることが重要だと思います。その活動が本当に自分のパッションから来ているものなのかどうかは、やっぱりバレてしまうことですから。逆に言うと、それが自発的にやっていることであれば、そこから先はどんなに幼稚でもいいと思うんです。他の業界の人たちほど上手じゃないとしても、アスリートが本当に自分の思っていることを自分の言葉でしゃべっていく、ということが大切ですね。

アスリートの力を、ジャストギビングを介して復興支援へ

――今回の東日本大震災では、その発生直後から、為末さんは様々な活動をされています。発生当時は合宿中でアメリカにいたとのことですが、その瞬間、何を思い、何をしようとしたのですか。
自分に今、何ができるんだろう、っていうのが一番大きかったですね。たまたま現地に日本の陸上選手がいたので、彼らとも話をして、24時間情報を集めました。



ですが、そもそも何が不足しているかすらもわからない。となると、とにかく最初はお金だろう、と。そうは言っても、僕らだけでお金を送るにも、そんなに持っているわけではない。そこで、以前、ジャストギビングについて説明を聞いたことがあったので、「この仕組みは選手の影響力をそのまま寄付金に変えることができるはずだから、これをうまく使えないか」ということで、いろんな競技の選手にこういうやり方があるからというメールを出した、というのが直後の動きです。

――その結果、かなりの数のアスリートから賛同を集め、活動の輪が大きく広がりました。
あんなにアスリートがずらっと並ぶことになるとは思わなかったですね。想像以上でした。

ジャスト・ギビングにて為末氏が呼びかけ結成したTEAM JPAPANのページはコチラ

――いかに「自分にできることで社会に貢献したい」と考えているアスリートが多いか、ということの好例ですね。
そうだと思います。多くのアスリートから「何かしたいんだけど、どうしたらいいかわからなかった。こういうやり方を提示してもらって、すごくやりやすかった」と、お礼を言われたくらいです。ここまで広がるというのは意外だったし、そういう感覚は10年前だったらなかったような感じがします。
日本のスポーツ選手の特徴なんですけど、何かはっきりした行動を取ったり、はっきりしたメッセージを打ったりすると、必ず反対から言われたり攻められたりがあるんですね。なのでそれを嫌がって、非常に優等生的で中庸な、どこからも攻められないような意見を言いがちなんですが、あの震災の後の行動というのは、スポーツ界がある意味で“偏ることができた瞬間”だったと思います。メッセージ性を持つということは、多少なりとも“偏り”が入ることだと思うんですが、それをできた瞬間でした。それについて周りからいろいろ言われたとしても、アスリートが100人くらいで同じこと言っているとかなり強いというか、有無を言わせないようなものもありました。だから、あまり外からの意見は気にしませんでしたね。あれだけの選手が集まって、自分たちの言葉で語ったというのは、結構すごいことだという気がしています。

――そうした活動においての影響力は大きいですが、その一方で、アスリート本来の活動、すなわち、自分たちが競技する姿を見せることでの社会貢献も大きいですよね。
いや、本当はそれがほとんどなんだと思います。すごくシンプルに言うと、アスリートというのは、何かに目標を定めて、一生懸命に生きている人の象徴なんですよね。その無我夢中さ加減とか、一生懸命さ加減が人の胸を打って、それが人生のモチベーションになったりするんだと思うんですけど、たぶんそれがアスリート本来の社会貢献であり、本来の役割なんじゃないでしょうか。ワールドカップで優勝したなでしこジャパン(サッカー女子日本代表)もそうだと思うんですが、あきらめずに戦うことで人々に力を与えるといったことが、本来的なアスリートの社会貢献の仕方のような気がします。そのうえで、実際に被災地へ行ったりして、さらにつながりが生まれたりというのもあると思いますが。

競技をすることによってなしえる、アスリート本来の社会貢献活動

――そうした意識を持つことは、アスリートが競技を続けるうえでも重要なことですか。
僕は33歳で、陸上選手としてはキャリアが長いほうですが、ここまで現役を続けてくると、そもそもなぜ自分は陸上をやりたいのか、自問自答することもありますし、だんだんと練習もきつくなってきます。そのとき、自分のためにやっているというモチベーションだけでは、そこまで強くなれないんですよね。これが自分以外の何かのためになっているというのを、嘘でもいいから信じこめないと最後に踏ん張れない。若いときは自分のエゴだけで前へ進めることもあるんですが、だんだんパブリックな自分の役割というか、自分がこれを続けることで社会が明らかによくなる、というようなことをストンと信じこめないと、踏ん張れないようなときが来る。そういう意味では、競技にとっても効果が大きいように思います。

――引退してからでなく、現役のうちから社会貢献の意識を持っておくことの意味は大きいわけですね。
大きいと思います。普通の状態であれば、多くの人たちに「スポーツがないと生きていけない」と言ってもらえても、今回の震災で本当の「生きていけるかどうか」という状態になったとき、社会が「スポーツなんかやっている場合じゃない」という空気になったことに、選手はみんな背筋が凍る思いをしたと思います。「自分たちがやっていることは、人々が生きていく上での根幹の産業ではないんだ」、と。そういう意味でも、現役の間に社会貢献的な考えを持つことは、自分にとっても納得感があり、自分がスポーツを続けるモチベーションを保てる理由のひとつにもなると思いますし、強さにつながるような気もします。

――震災関連では、他にどんな活動をされているのですか。
今、いくつかの地域と協力して、他の選手たちと一緒に被災地へ行って子どもたちにスポーツを教えています。依頼があったところへ選手を派遣したり、特定の地域へ選手が定期的に行ったりということは、今後も続けていくつもりです。他の選手たちとは、「できれば、僕らが行っている地域からオリンピック選手をひとりくらい出したいね」という話をしています。

――まさに、アスリートでなければできないこと、ですね。
PTSD(Post-Traumatic Stress Disorder/心的外傷後ストレス障害)は比較的知られていると思いますが、その反作用のようなものにPTG(Post-Traumatic Growth/心的外傷後成長)という概念もあって、何か大きな傷を乗り越えた人間は強さを身につけるというんですね。今回の場合は、あまりにも大きな傷なので簡単には癒されないとは思いますが、子どもたちがスポーツを通じて人生でPTGを起こしてくれるといいなと思います。彼らが何かにチャレンジしようとする方向へシフトする。そうしたことが、アスリートが行くことで起きてくれれば、と考えています。

――最後に、為末さん自身のこれからのチャレンジについて、聞かせてください。
現役で言うと、ロンドンですね。来年ロンドン五輪があるので、そこに出たいし、決勝進出を目指して走りたいという思いが、今は一番強いです。それが終わると、たぶん引退していますから、その後、会社はやりたいですね。将来的な夢として、日本の人たちがスポーツを通じて国際化できる入口みたいなものが作れるといいな、と思っています。

 

Profile

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Dai Tamesue
為末 大

プロハードラー


1978年5月3日生まれ。広島県出身。陸上400mハードルの選手として、数々の国際舞台で活躍。01年世界陸上では銅メダルを獲得し、短距離トラック種目としては五輪、世界陸上を通じて日本人初のメダリストとなった。その後、05年世界陸上でも自身ふたつの目の銅メダルを獲得。世界陸上トラック種目での複数のメダル獲得は、日本人唯一の記録である。現在は、競技活動と並行して陸上の普及活動にも尽力。また、「一般社団法人アス
リートソサエティ」を立ち上げ、マイナースポーツ選手の自立支援も行っている。

為末大 公式サイト
http://sports.nifty.com/tamesue/

アスリートソサエティ公式サイト

http://www.athletesociety.org/

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2014/04/30

自由と勇気

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