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05 INTERVIEW

Hirotaka Takeuchi

竹内洋岳

登山家

Profile

ものすごく特別な今さら――14座登頂の意味

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生と死が隣り合わせる極限の世界で、竹内洋岳は挑戦を続けてきた。自らの限界に挑み、逞しくも笑顔で乗り越えてきた。
今年5月、世界に14座ある8000m峰──そのすべてがヒマラヤにある──の完全登頂を、竹内は日本人で初めて成し遂げた。1995年のマカルー登頂から18年に及んだチャレンジはついに幕を閉じ、地球上で29人目の〈14サミッター〉が日本から誕生したのだ。
竹内が成し遂げた快挙は、登山界はもちろん日本中を駆けめぐった。興奮と感動を巻き起こした。
ところが、本人は意外なほどに冷静なのである。
「日本人初ということには、意味さえ感じません」と語るのだ。
プロフェッショナルマウンテンクライマーの胸中で、いま膨らんでいる思いとは。

登山とは大きな輪

2012年、14座登頂を締めくくったダウラギリの頂上。撮影:竹内洋岳
トップ写真:撮影:中島ケンロウ

8167m、世界7位の高峰、ダウラギリ。

――14座の最後となるダウラギリの山頂に立った瞬間、どんな感情が沸き上がってきたのでしょう?
紛うことなく「早く帰ろう」ですね。今回のダウラギリに限らず、8000mの頂上ではその感情しか沸き上がってきません。山頂というのはまったく生命感のない場所で、人間がそこにいるのはあまりにも不自然です。息を止めて存在しているような、危機的な感じさえ抱く。ですから、早く降りなければいけない、早くこの場を離れなければ生きていけないと、そこに立った瞬間に感じます。本来は人間が存在してはいけないところですから、いつまでも居ていいはずがありません。

――達成感や満足感に浸ることはない、ということですか?
ダウラギリはとてもいい山で、昔から登りたかった山でもあります。何といってもカッコいい。でも、到達したら、早く離れる。生命の危機を感じる者こそが、頂上から帰って来られるのではないでしょうか。「クライマーズ・ハイ」という言葉がありますが、達成感や満足感が頭のなかに涌き出たら、正確な判断のできない危険な状態だと私は思います。
いまのところはそういうことがなくて、それゆえに私は登れたのではなく、降りてこられました。ベースキャンプへ帰ってこないと、そこまで降りてこないと、次の山には登れません。登って降りる、を繰り返していかないと、14座は登り切れない。ですから、登れたのではなく、登って降りてこられた、というのが私の感覚です。

――なるほど。「降りてこられた」ですか。
私にとっての登山は、ひとつの大きな輪なんですね。その輪のなかでは、頂上に立っているのは時間的に5分から10分ほどで、髪の毛1本ほどの点にしかなりません。そうすると、何かを達成した瞬間とは、とても思えないんです。ハイライトでも、ピークでもない。
もっと大きな輪があるような気もしています。「あの山へ行こう」と思ったところが輪のスタートで、どうやっていこう? 何を持っていこう? 何を着ていこう? あのアックスのストラップをもうちょっと短くしよう、といったように色々なことを考えるんですね。そこからもう、輪が始まっている。ベースキャンプへ至るまでにも、色々なことがありますから。
ということは、次の山登りを考え始めたときにひとつの輪が閉じて、また新しい輪が始まる。私にとっての登山とは、そういうサイクルで続いてきたものかしれません。
一つひとつの輪が閉じて、今回のダウラギリで14座という大きな輪も閉じた。そんなふうにも考えているんです。

14座登頂の意味

――14座完全登頂というのは、やはり大きな意味を持っていますか?
記録としては、すでに「いまさら」のものです。イタリア人のラインホルト・メスナーが14座完全登頂を初めて果たしたのは、いまから25年近く前の1986年です。世界中で30人近い登山家が達成していて、記録としての珍しさもない。私自身、14座を達成した登山家を、何人も間近で見てきました。私はすべて無酸素での登頂ではありませんし、記録としては平凡です。
1989年に亡くなられた山田昇さん※が達成していたら、年代的におそらく世界で3、4人目になっていたと思います。私の記録より、もっと大きな意味があったはずです。しかし、すでに多くの人が達成しているいまでは、日本人初という意味さえあまり感じません。すべて人間がやることなんですから、国籍をどうこう言うようなものでもない気がします。
しかし、日本人にとってはすごく、すごく特別な記録であることは確かです。世界的には「いまさら」な記録を、日本人がいまだに達成していないのはそもそも大問題で、私はそれが悔しくてしかたがなかった。マナスルを初登頂したのは日本隊なのに。14座に挑戦できる環境に身をおいているゆえに、本当に悔しかったのです。

いまとなっては、山田さんや名塚秀二さん※らの14座を目ざして命を落とした皆さんのことも、忘れられてしまうような気がしていました。命を賭けるというのは、崇高なことだと私は思います。山田さんや名塚さんの功績が忘れられ、それどころか日本人が14座を達成していないことから目を背けるような様子が、私には悔しくして腹立たしくてしかたがなかったんです。ならば私が、と思ったのは事実です。

※山田昇…1950年生まれ、ヒマラヤ登山家。8000m峰9座に12回登頂。1989年に冬季マッキンリー登攀中に遭難死。
※名塚秀二…1956年生まれ、ヒマラヤ登山家。8000m峰9座に登頂。2004年、10座目となるアンナプルナⅠ峰に挑戦中、雪崩により死亡。

――最初から14座を目指していたわけではなかったのですね?
最初から、ではありません。違いました。ドイツ人のラルフとオーストリア人のガリンダというパートナーに出会い、「3人で14座達成しよう」と決めたときに、日本人初の14座サミッターになり、山田さん、名塚さんらの先人の功績が少しでも振り返られる状況を作りたい、と。そういうことも含めて、14座というのは、私にとってすごく大切な、特別なものです。それが、やっと、終わりました。

ダウラギリ6500m付近。遠くにアンナプルナが見える。撮影:中島ケンロウ


――2007年にガッシャブルムⅡ峰で、雪崩に巻き込まれて背骨を折る大ケガを負いました。それでも14座への挑戦を続けた原動力とは?
いや、特別な原動力はあまりないですよ。本当なら私はガッシュブルムで死んでいたわけです。たまたまそこにいた多くの人たちが助けてくれたから、いまもこうしてここにいる。私の命は、彼らに新しくもらったもの。山でもらった命です。だから、山で使い切っていいと思うんですよ。

――それにしても、再び山と立ち向かう際に、恐怖心はなかったのですか?

いやあ、ないですね。人間ですからどこかにあったかもしれませんが、それを上回るぐらいに登りたい意思があったと思います。自分で登って降りてこないと、山登りにならない。ガッシャブルムは、自分で降りてきていない。私が考える登山になっていなくて、それが気持ち悪くて腹立たしかった。
自分なりの勝手な決着のつけ方ですが、せめて事故があったところまで行って、自力で降りてこないと、どうにも納得がいかなかったんですね。それをしないで生きていくのはおかしい、と。それだけに、ガッシャブルムを登り直した際には、得も言われぬ感情が沸き起こってきました。

――どんな感情が爆発しましたか?
泣きました。涙が出た理由はひとつではなく、悲しい、痛い、悔しい、嬉しいといった感情の発露として泣いたわけでもなく、いっぱいになった頭のなかを整理するために、泣くという行為をしたのかしれません。

――ケガからほぼ1年後の登頂は、「奇跡的な回復」とメディアに伝えられました。
それは大げさです(笑)。翌年にもう一度ガッシャブルムへ行くとなると、必然的に時期は決まります。登山ができる時期は、限られていますから。リハビリが間に合わなくても、日本を出ちゃおうと思っていました。1年でパーフェクトな身体になるとは思っていなかったですし、這ってでも行くつもりでしたので。
まずはとにかく、ベースキャンプまで辿り着く。ベースキャンプへ着いたら、次はキャンプ1を、その次はキャンプ2を目ざす。山頂への過程も含めて、リハビリという理解でした。
事故のダメージがちゃんと抜けたのは、去年ぐらいでしょうか。ただ、事故前の身体とは違います。日常生活に支障はなく、山でも特別な問題はありませんが、指先まで神経が通っている感覚は、右足と左足では異なります。背骨の骨折とは別に、肋骨が変形治癒しているのもありまして……(といってシャツをめくり、右手で肋骨を示す)。

――あっ、左側の肋骨がポッコリと浮き上がっていますね。
飛び出しているような感じでしょう? 息が荒くなると痛んでくるんです。事故翌年のガッシャブルムではあまり気にならなかったんですが、09年のローツェは標高がガッシャブルムより500mほど高いので、どうしも呼吸が乱れるんです。そうすると、痛くて、痛くて。手で抑えて胸が開かないようにしたら、余計に苦しくなったり(笑)。

――苦しみという意味では、今回のダウラギリではビバークをしましたね。下山時に日が沈み、キャンプ3へ戻るルートが見つけられなかったそうで。
キャンプ3から頂上を目ざしているときから、たとえ遅くなっても今日のうちに山頂へ行き、帰りはビバークも有り得ると覚悟を決めました。ですから、登る途中でビバークできそうなところをいくつか探しておきました。山登りは想像のスポーツで、色々なことを想像して楽しむんですね。いかに他方向に、多重に想像できるかを山のなかで競い合う。いっぱい想像した者が、いっぱい楽しめる。
大きくいえば、あの山のあのルートを、あんなふうにして登りたい、という想像からすべてが始まっているのかもしれません。誰も登っていない山の、誰も登っていないルートを、誰も登っていない方法で登る。それを思い描けた者が、実際に行ける。想像力を競争している、ともいえるでしょう。

日本の登山は14座の呪縛から自由に

ダウラギリのC2、6600m付近。撮影:中島ケンロウ

――これからの目標も、すでに描いているのでしょうか?
どこまで登山を続けていけるのかに、私は挑戦しています。そのなかにきっと、14座があったんです。死なずに続けられたからこそ14座に到達したのであって、14座を登り切ったとは思っていない。地球上には無数の山があるわけで、裏返せばまだその14コしか登っていません。登り切ったとは、とてもじゃないですが言えないですよ。いままでも好きな山に登ってきたので、これからも好きな山に登るのかなあ。いずれにしても、ここから先は新しい登山のスタートです。

――と、いいますと?
14座をやり残してきたがゆえに、日本には“古い登山”が残ってしまっていたと私は考えています。古いものが混じった増築の登山ではなく、これからは新しい登山、新しい14座がスタートしていいでしょう。
たとえば、私はマカルー、エベレスト、K2で酸素を使っていますから、次はすべて無酸素の14座に挑むとか、ノーマルノートではなくバリエーションルートで14座を目ざすとか、そういうことをやってみたいと思う人が出てきたらいいですね。
私はこれで、過去の人間になっていきます。古い時代は終わりました。「竹内洋岳」ではなく、14座とかヒマラヤが、人々のなかに残っていけばいい。地図帳でしかみたことのなかったヒマラヤに行ってみたい、せめてカトマンズの街まで行ってみたい、できたら自分も登山をしてみたい、といった人が少しでも増えてくれたら、というのが私の願いです。
今回こうして取材を受けているのも、私がヒマラヤの話をすることで、8000mの山々を立体的に感じる人がいるかもしれない。私は幸運にも14座への挑戦を続けることができました。恵まれた環境にいるわけですから、これは義務でも使命でもなく、続けられた者がなすべき役割だと思っています。

――そうした啓蒙的な活動と並行して、登山も続けていくわけですよね?
組織に属していないといけない、お金がないと行けないというのが、1990年代までの古い登山でした。でも、実際には来週行くことだってできるんです。サッカーだって、国内を飛び出して世界でプレーしている選手がいるじゃないですか? あれと同じです。現代の登山は、ずっとずっと自由です。だからこそ、どんどん行ってほしいと僕は思っています。
ベースキャンプなんて、壮大な秘密基地ごっこですよ。何を持っていこう、何をして遊ぼう、テーブルクロスは何色にしようかなあ、どんな絵を飾ろうかなあ、なんて考えるのは、最高に楽しいじゃないですか!

 

ダウラギリ6500m付近、C2へと向かう。撮影:中島ケンロウ

 

8000m峰14座

1 エベレスト 8848m
2 K2 8611m
3 カンチェンジュンガ 8586m
4 ローツェ 8516m
5 マカルー 8485m
6 チョー・オユー 8201m
7 ダウラギリ 8167m
8 マナスル 8163m
9 ナンガパルパット 8126m
10 アンナプルナ 8091m
11 ガッシャブルムI峰 8080m
12 ブロードピーク 8051m
13 ガッシャブルムII峰 8034m
14 シシャパンマ 8027m
 
 

画像提供:14Project事務局

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Hirotaka Takeuchi
竹内洋岳

登山家


たけうち・ひろたか。登山家。1971年1月8日、東京都生まれ。登山好きな祖父の影響を受け、少年時代から登山やスキーを楽しむ。都立一橋高校、立正大学で山岳部に在籍し、20歳で8000m峰の登山を初体験。1995年、マカルー東稜下部初登攀に成功し、14度登頂の第一歩を刻む。2001年からはラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナーをメインパートナーとし、シェルパや酸素ボンベを使わないアルパインスタイルも積極的に取り入れた速攻登山を展開し、2012年5月、ダウラギリの登頂に成功し、日本人初の14座完全登頂を達成した。

公式サイト
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/

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2014/04/30

自由と勇気

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