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Bob Bates

ボブ・ベイツ

トランス・ニューギニ・ツアーズ オーナー

Profile

パプアニューギニアの秘境と観光業を切り拓いた
“ブッシュパイロット“

オーストラリアの北の赤道直下、ニューギニア島の東半分に位置するパプアニューギニア。800余りの部族と言語、多彩な文化が織り成すその国で、エコツーリズムの概念すらなかった時代から、必然として自然と郷土と共生する魅惑のロッジを設け、セルフメイドの観光業を行ってきたのがトランス・ニューギニ・ツアーズだ。その不思議な魅力は紹介したとおり。その創業者、人生に謎の満ちるボブ・ベイツ、その人に聞いた。

「釣りに最高だったから」ジャングルにロッジと滑走路を手作り

オーストラリア人の釣りマニアには絶大な人気を誇る魚、バラマンディ。その聖地とされるのがパプアニューギニア(以下PNG)のベンスバックだ。
インドネシア領パプアの国境に近い川沿いのその湿地帯は、鳥、鹿、ワラビーなど、野生動物の宝庫でもある。PNGで観光業の先駆者となったボブ・ベイツが、まだ土木エンジニアだったその昔、たまたま訪れたのがベンスバックの現在ロッジのある辺りだったという。

ボブの人生を変えた場所、ベンスバックの夕日。
ベンスバックにて。地図でロッジの場所を教えてくれた。

「最初にベンスバックを訪れたのは1971年か72年のこと。ウィリアムのエアストリップ(滑走路だけの簡易飛行場)に飛行機でやって来て、ボートを2時間ほどこいで、その川の辺りでキャンプをしたんだ。釣りに最高の場所だと思ってね。それでロッジを建てることにしたのが72年か73年だったと思う。76年にはエアストリップを造ったよ。ニューギニア航空のDC3をチャーターして、トラックとランドローバー、シャベルやスコップ、それから30数人のハイランドの人たちを乗せて現地に飛んで、人海戦術で滑走路を造ったんだ。簡単なことさ。6週間で完成したよ」

こうして最初のロッジは誕生した。いまもベンスバックに通じる道路はない。手作りの滑走路があるだけで、自分で小型機が操縦できなければ、トランス・ニューギニ・ツアーズのフライトを使うしか、アクセスする方法はないのだ。

ボブは71歳になるいまも、バリバリ現役の“ブッシュパイロット”である。一見、滑走路ともブッシュともつかぬ粗末な飛行場でも平気で着陸するからついた呼び名だ。1972年に操縦免許を取り、飛行機を買った。以来PNGはもちろん、世界の空を飛び続けている。しかも彼の前職は土木エンジニア。1963年、オーストラリアによる国連信託統治領だったPNGの政府に雇われて、橋や道路、エアストリップを造った経歴の持ち主。その後、独立して土木建設業の会社を創業したが、やがて副業であった観光業のほうが面白くなり専業に。それがトランス・ニューギニ・ツアーズである。

秘境のロッジに必要な3つの条件

自ら大空を飛ぶ翼を持ち、着陸する滑走路がなければ手作りしてしまう、そんな男にとって、最奥地の秘境というロケーションは、観光業において何の問題もないどころか魅惑の地にすぎないのだ。
「ゲストで一番多いのがアメリカ人。プロモーションは日本も含めて世界中にしているけど、なぜだろうね。エキゾティックでエキサイティングで豊穣の文化があって、そして、マイケル・ロックフェラーの話に引きつけられるんじゃないかな。1961年のあの事件は、私もよく覚えている。彼が姿を消したアスマットは、ベンスバックからインドネシアの国境を越えてすぐのところだよ」
それは、ロックフェラー財閥創始者の曾孫であり、当時のニューヨーク市長であったネルソン・ロックフェラーの息子、マイケルが、ニューギニアの奥地で消息を絶った事件のこと。彼が消えたアスマットには1960年代、食人と首狩りの習慣が残っていた。消息不明の真相はいまも明らかでない。ただアスマットは木彫刻が盛んでプリミティブアートの宝庫でもあり、文化人類学者だったマイケルの目的はその収集で、彼のコレクションはメトロポリタン美術館のマイケル・ロックフェラー・ウィングとして遺っているほどだ。

話を元に戻そう。そのアスマットと並び賞されるプリミティブアートの宝庫が、PNG側のセピック川流域である。1978年、ボブはセピック中流域にあった「カラワリロッジ」を購入、ふたつ目のロッジとし、そして1985年、中央高原のタリに「アンブアロッジ」を建設した。
「ロッジのロケーションを選ぶ条件は三つある。眺めの良さと、水力発電のための水源、そして文化の面白さだ。アートの宝庫であるセピックと、黄色いペインティングの化粧で有名なフリ族のいるタリは、文句なしというわけさ。『死ぬ前に見ておきたい1000の場所』というガイドブックにもセピック川とアンブアロッジは選ばれているよ」 

操縦中のボブ。PNGの空は天候が変わりやすく、北極圏と並んで難しいという。
カラワリのエアストリップ。もちろんここもすべて手造りだ。
操縦席からカラワリのエアストリップを見る。
カラワリに到着して飛行機から降りるボブ。
給油も手作業で。

都市なんてクレイジーなところ、2,3日しか住めない

ボブの弟、ジョンはセーリングが得意な海の男だった。彼の尽力で就航したのがセピック川をゆく冒険クルーズ船「セピックスピリット号」だ。ジョンは、初代船長だった。
「一昨年、亡くなってしまった。まだ若かったのにね。私だけ残されてしまった。家族は妻と2人の息子がいるけれど、みんな都市の人間だから、オーストラリアで暮らしている。私は駄目だ。いや2、3日ならいいよ、東京だって、シドニーだって。でも、あんなクレージーなところ、とても暮らせない」

都会を「クレイジーなところ」というボブの、自宅とトランス・ニューギニ・ツアーズの本社があるのは、中央高原の中心地マウントハーゲンだ。2005年、その郊外の丘陵地に「ロンドンリッジ」という5つめのロッジを開業。町からはオフロードを揺られること約40分。山上の別天地である。ボブは現在、ここに新しい自宅を建設中だ。
「マウントハーゲンに暮らしてもう40年になるよ。PNGの高地は、何より気候がいい、野菜がおいしい、そして人がいい」

新築中の家にて。窓からは最高の眺めが広がる。玄関には長年愛用したプロペラが飾ってあった(トップ写真)。
長年事業を共にしてきた弟に捧げる石碑があった

そのマウントハーゲンの空港から、ボブは双発エンジンを備えた愛用の小型機に乗って冒険旅行に飛び立つ。翼には自分の名前と同じ登録番号「P2-BOB」を誇らしげに染め抜いて。このインタビューが掲載される頃には、南太平洋一周の大旅行を終えているだろうか。

「今回の旅行は、マウントハーゲンからラバウル、ポナペ、コスラエ、マジェロ、タラワ、キリバス、ツバル、フトゥナ、ウェスタンサモア、アメリカンサモア、ラロトンガ、タヒチ、マルケサス、またラロトンガに戻って、ニウエ、トンガ、フィジー、バヌアツ、ソロモン、そしてマウントハーゲンというルートで、これはアメリカ人の友人と行く。来年の春には、ロシア人の友人の飛行機でヨーロッパからアイスランド、グリーンランドからベーリング海を経てカナダから北米と南米大陸を縦断して再びベーリング海を経てヨーロッパに戻る旅行を計画しているんだ」
人の操縦する飛行機に乗るより、自分の飛行機で旅するほうがずっと簡単でいいとボブは言う。根っからのセルフメイドマンである。

2008年、そのPNGの観光業に対する功績に対して、大英帝国勲章が授与された。
エリザベス女王のサインが入った授与証を、ボブは恥ずかしそうに見せてくれた。

大英帝国勲章の授与証と。

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Bob Bates
ボブ・ベイツ

トランス・ニューギニ・ツアーズ オーナー


1940年オーストラリア、ニューキャッスル生まれ。ニューサウスウェールズ大学でエンジニアリングを専攻。1963年にパプアニューギニアに渡り、土木建設業の仕事を経て1976年、トランス・ニューギニ・ツアーズを創業する。現在、パプアニューギニア各地に5つのロッジとクルーズシップを運営。パプアニューギニアの空を39年間飛び続けている腕利きのブッシュパイロットでもある。長年のパプアニューギニアの観光業に対する多大な貢献に対して、2008年、大英帝国勲章を授与された。

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