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Yves Rossy

イヴ・ロッシー

冒険家“ジェットマン”

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人間が空を飛ぶということ

当WEBでの初登場は、WEBの開設とほぼ同時の2008年10月。史上初のジェットウィングでのドーバー海峡横断成功のニュースを告げるものだった。そして、2009年末。第1回のファウストA.G.アワードでは、初来日となる招聘と、記念すべき初代ファウスト大賞の授与。ファウストA.G.が追い続けてきた稀代の冒険家“ジェットマン”。これまで、切り取られた一部しか語られることのなかった彼のすべてが、来日時のロングインタビューで浮き彫りとなった。

戦闘機パイロットを超えるセンセーション

知る人ぞ知る、世界のビッグネームである。
折り畳み式のウィングをリュックサックのように背負い、4機のジェットエンジンを稼働させ、文字通り“飛ぶ”。自ら研究と開発に打ち込んだ、曰く「空を飛べるクルマ」で、イヴ・ロッシーはアルプス越えに成功し、ドーバー海峡横断も実現させた。母国スイスはもちろんイギリスやフランスの主要メディアでも報じられ、「ジェットマン」、「フュージョンマン」、「バードマン」といったニックネームで呼ばれるようになった。彼自身は「ジェットマン」を好み、ネームカードにもこの肩書が刷り込まれている。



スイス・インターナショナルエアラインズを休職して、自らの冒険に打ち込む。イヴさんをそこまで突き動かす源は、いったい何なのでしょうか?

──こういう取材では必ず聞かれるんですが(笑)、仕事は好きなんです。パイロットへのモチベーションもあります。私にとって飛行機のコクピットは、世界一素晴らしい職場です。でも、あくまでもオフィスなんですよね。会社と私との契約では、3年間までは特別休暇をとってもいいということになっていました。そこでいまこのタイミングで、自分の夢を究極まで追求しようと考えたのです。空中を自分の体で飛ぶというのは、パイロットの仕事を越えた強いセンセーションを私に与えてくれるのです」

家族の反応はどうでしたか?

──子どもの頃から危ないことばかりしていたので、母親は慣れていたんじゃないかなあ。

スイス空軍からキャリアをスタートさせていますね。

──最初が戦闘機のパイロットですからね。それなりのリスクはあるわけですから、その時点で母親も覚悟を決めていたと思うんですよ。そんな私に50年以上も付き合ってきたわけですから、もうすっかり慣れたんじゃないかと。

会社の同僚は?


──ひと言で言うなら、「驚きに包まれていた」という感じでしょうか。「うらやましいなあ」と言ってくれましたよ。会社というレールからはみ出して、胸に秘めている一番の思いを実行へ移すわけですからね。ほとんどの同僚は、私のように夢を抱いていても実行できない。家族がいるし、それに伴う責任を背負っているから。でも、私にはそういうものがありませんので。

ジェットウィングで飛ぶことの対価

というと、結婚は?

──以前はしていましたよ、フフフ(笑)。色々なことがあったわけですが、私のように冒険が情熱を傾ける第一の対象になると、どうしても家族生活が二の次になってしまうんです。どちらかを選ばなくてはいけなくなってしまう。“コラテラル・ダメージ”です。

“やむを得ない犠牲”ということですか?


──かつての妻との一番の問題は、子どもを作るかどうかにありました。妻は作りたいけれど、私は欲しくないと。生きていると色々な出会いがあり、そこに絆が生まれます。お互いが幸せな間は一緒にいるべきでしょうが、違う目的があるときは道が分かれてしまうのではないでしょうか。前妻も幸せに生活をしていますし、私もいまはご覧のとおり。正しい選択だったと思います。

結婚生活はどれぐらい続いたのですか?

──ええと……36歳のときに結婚して、10年間ですか。なかなかでしょう!?

離婚をしてまで冒険に踏み出す。戸惑いや不安はありませんでしたか?

──まったく。これははっきり言えます。人生は一度しかないですから、チャレンジできるタイミングを逃すと後悔します。

休暇中の給料は?

──公認の休暇なんですが、サラリーはありません。10年間ぐらいスポンサーを探したんですが、まったく見つからなくて。もし私が大変な事故などに遭ったら、ブランドイメージが損なわれてしまうからでしょうね。だからもう、開発費用は自己負担でした。少しずつ成功例を積み重ねていくことで、ある腕時計のメーカーがスポンサーになってくれたんです。でも、2年間の契約が切れてしまったので、いまはまたスポンサーなしです。

それは大変……。

──日本でいい方がいれば、ぜひ!

定期収入はない、と。

──まあでも、講演に呼ばれたりもしますね。講演はヨーロッパ中心で、アメリカにも……ああ、一度だけだ(笑)。日本にも呼んでいただければ。あと4、5か月は、何とか生きて行けるでしょう。

そのあとは?

──何とかなるでしょう。絶対に大丈夫ですよ! スポンサーが見つからなくても、やることはいっぱいある。クジラを観に行きたいなあ。私はパイロットですから、やることはいっぱいありますよ。

ジェットウィングの開発には、相当な時間と費用を費やしたと聞いています。

──そうですね。最初の10年間ぐらいは、毎年5万スイスフラン(約420万円)ぐらいかかっていました。まあでも、それだけかかったけれど、他の人が持っていない〈空を飛べる車〉を所有することができたんだから。私は決してお金持ちではないですけれど、自分のやりたいことをできるという意味で豊かな人生を過ごしていますよ。

サラリーのほとんどを開発費に注ぎ込んだわけでしょうか。

──高級車を乗りまわすとか、バカンスで贅沢なことをするとか、そういうことをいっさいせずに、開発に注ぎ込みました。繰り返しになりますが、経済的にはまったくリッチではありません。ごく普通の中産階級の出身です。あなたのご指摘のとおり、パイロットの仕事で得たサラリーを注ぎ込んだわけです。

空への憧れと恐怖

父親の職業は? パイロットですか?

──いえ、鉄道会社で事務の仕事をしていました。家族のなかにパイロットはひとりもいません。

その家庭環境のなかで、空へ憧れるきっかけは何だったのでしょう?


──13歳くらいのときに観たエアショーですかね。ものすごく強い印象を受けました。すごく、すごく感動しました。パイロットは幸せだろうなあと、そのときに感じたんです。もともと私は運動が得意で、エネルギーに溢れていたんです。何かをしていないとダメなタイプなんですよ。




でも、パイロットは身体を動かす仕事ではありませんよね? 狭いコクピットに閉じ込められているのは辛くないですか。

──座っているけれど、飛行機自体は大変な移動距離を稼ぐ。戦闘機なんかは、とくにね。

スイス空軍から民間へ転職した理由は?

──スイスでは8年間空軍に在籍すると、そのまま残ってもいいし、民間へ行ってもいいんです。色々な国へのフライトを経験するために、民間を選びました。

空軍、民間を問わず、身の危険を感じたことはありますか?


──ありますよ。1999年のことです。ロンドンからジュネーブへ戻る航路で、日本でいう台風のようなものに見舞われました。それはもう、大変な暴風雨です。天気予報では予測されなかったもので、ジュネーブもチューリヒも空港が閉鎖されてしまいました。我々は無理やりジュネーブに降りたんですが、着陸した瞬間は顔面蒼白で、足は震え、背中は汗びっしょり。忘れられない経験です。

ジェットウィングでのフライトに恐怖はありませんか?

──それもまたよく聞かれますが、怖くはないですね。ただし、緊張はします。100メートル走を前にしたアスリートも、レース直前のF1パイロットも、緊張はすると思うんです。それと同じ種類の緊張であって、恐怖はありません。

緊張は経験によって和らぐものですか?


──訓練を重ねることで平常心を保てるというのは、確かにあるでしょうね。でも、緊張するのはいいこと。ポジティブな要素ですよ。皆さんが普段やっている仕事やスポーツと同じで、最初は緊張しても、途中から喜びに変わるのではないでしょうか?

自分で開発したジェットエンジンでの失敗経験は?

──ノウ。ちょっと熱い思いをしたことはありますが(笑)。たとえば、エアバスを操縦しているときは、天候は自分では何ともできない。受け身の状態で何とかしなければいけない。これは非常に難しい。けれど、自分が飛んでいるときは、自分の動作で何とかなる。能動的なんです。これは大きな違いですよ。

バイオ燃料開発とグランドキャニオン・プロジェクト

おっしゃることはそのとおりだと思いますが、そこまで臨機応変な対応ができるのかと思ってしまいます。何しろ、時間がない!

──ハハハ、もちろん、できますよ! 何て説明したらいいのか分からないんだけど(笑)。スカイダイビングのフリーフォールスタイルなんて、4000メートルからひょっとすると50秒ぐらいで落ちてしまいますけど、私はもっと時間がありますから。

「もっと時間がある」と言っても、数分間ですよね? その間に、刻々と状況は変化している。楽しみよりも恐怖が先行してしまいそうです。


──いい例を思いつきました。潜水艦はある意味で飛行機。海中深くまで潜れるけれど、水との接触はない。一方、素潜りは1分くらいの短い時間だけど、水や空気と触れ合う喜びがある。さらに、潜水でも装備をして長いこと潜っていることもできる。それを私は空でやってみたいと。スキューバダイビングを空でやるようなもので。まだないですよね。空の世界ではね。

スキューバならたっぷり1時間は潜れます。

──私の次の夢はそれです。1時間、2時間と飛んでみたい。問題はエネルギー(燃料)です。ケロシンという灯油のようなものが一番軽くて、重さのわりに対空時間を許してくれる。いま自分が考えているのは、バイオケロシンの使用です。エコロジーの時代ですから、野菜のくずなどから作った燃料で飛んでみたい。開発は非常に難しいんですけどね。燃料がたくさんあれば長く飛んでいられるが、それだけ重さがある。そこのバランスをとらなければいけない。そのためには、燃料を考え、ウィングの素材を考え、と。

エコロジーと仰いましたが、地球温暖化にも関心を寄せていると聞いています。

──もちろんです。最優先課題だと思っています。そのためにバイオ燃料を開発しているんです。ジュネーブのある会社が、車で使えるバイオ燃料を開発したので、それをジェットエンジンに応用できたらと、いまテストしているところです。



昨年11月にジブラルタル海峡の横断に挑戦しましたが、残念な結果に終わってしまいましたね。

──確かに残念な結果でした。原因は二つあります。ひとつ目は風を見誤ったこと。ふたつ目は高さ。私の羽翼は通常3000メートル上空くらいからダイブして飛行するのですが、ジブラルタルでは2000メートルからにした。もうちょっと高いところから飛ぶべきだったんです。その影響で雲が立ち込めているところに突っ込んでしまい、方向を見失ってしまいました。

パニックにはなりませんでしたか?

──それはないですね。ジェットウィングで空を飛ぶと聞くと、何だか狂喜じみたことをやっていると考える人もいるでしょうが、パイロットとしての経験は多いに役立っていて、皆さんが考えるほど危険であったり、大胆なことではないんです。というのも、飛行機に乗るときは、何かあったときにそれを実行するプランBというのがあるんですね。エンジンが止まっても補助エンジンが作動して、無事に乗客を運ぶことができる、といったぐあいに。自分もプランBを必ず持っています。パラシュートがひとつダメになっても、もうひとつパラシュートがある。みなさんが考えるほど、危ないことではないんです。ジブラルタルのケースでも、分厚い雲のなかでコントロールを失ってしまったので、装備しているものをすべてとって、パラシュートで降下しました。

時間と費用を注ぎ込んでのチャレンジですから、これは本当に悔しいですね。

──でも、何事もチャレンジですよ。必ずしも成功することが一番の目的ではなくて、自分にとって大事なのはチャレンジなんです。あの失敗から学ぶこともありますしね。いつもいつも、必ずしも完璧にことを成し遂げられるわけではありません。大切なのは同じ過ちをくりかえさないこと。来年また、チャレンジしますよ。来年は別の過ちをおかすかもしれないけれど(笑)。

新たなチャレンジについては?


──グランドキャニオンを飛ぶ計画があります。気流については、朝早くなら大丈夫。場所はもうチェック済みです。安全ですよ。きれいですよ。高度1000メートルですから、私にとって大きな危険はないし、見物人の方に来ていただければ、実際に飛んでいくところを観てもらうこともできます。すべてが予定どおりにいけば、4月には実行できるでしょう。

それからまた、ジブラルタル海峡へ再チャレンジですか?


──グランドキャニオンは私個人のプロジェクトで、これはもう絶対に実現したい。ジブラルタルは企業から打診されたプロジェクトなので、資金も含めてスポンサー次第のところはあります。もちろん、準備はしているし、翼も用意していますが。日本の企業にスポンサーになっていただければ嬉しいですね。富士山の周りをぐるりと飛ぶ?いいですね! もし失礼にあたらなければ、将来的なプランとして是非考えてみたいです。

ジブラルタルの準備期間と費用は、どれぐらいのスケールなのでしょう?

──私自身の準備は4か月ぐらいで、スポンサー企業は、どうだろう……1年ぐらいでしょうね。金額は分かりませんが。すごくお金がかかっているのは間違いないです。ヘリコプター、ボート、テレビ、バス、安全のためのオペレーションなどなど……。ドーバー海峡のときは100万ドルでしたから、ジブラルタルも同じくらいではないでしょうか。

フリーフライの世界チャンプが後継者

後継者の育成は考えていますか?

──それはもう! 私もトシですから、若い人にやってほしくて(笑)。実はひとり、養成しているんです。フリーフライの世界チャンピオンに3回も輝いているフランス人で、私の開発した翼で飛ぶテストをしています。まだ25歳の若者ですが、スカイダイビングの経験は1万回以上にのぼります。私はせいぜい2000回くらいですから。たぶん彼は、素晴らしいチャレンジャーになると思いますよ。ヴァンサン・ルフェ。ぜひ名前を覚えておいてください。

3年間の冒険のゴールをどのように描いていますか?

──スパイダーマンもバットマンも、みんな空を飛んでいる。SFの世界には空飛ぶヒーローが多いでしょう。誰もが思っているんですよ。空を飛びたい、と。私はたぶん、人類はいつかは飛べるようになるのではと思っています。私は開拓者のひとりに過ぎないのであって、技術が開発されたり、燃料が良くなったりすれば、空を飛ぶことが多くの人にとってもっと身近になると思います。


いまはまだ、知る人ぞ知る存在である。
しかし、これから様々なチャレンジを続けていく過程で、イヴは本当の意味で世界のビッグネームとなっていくのではないだろうか。21世紀の地球が抱える様々な問題にも関心を向けている彼は、冒険という枠組みを越えたシンボルとなる可能性を秘めている。誰よりも人生を楽しんでいる男の魅力に、これから世界が気付いていくはずだ、と。


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ドーバー海峡横断成功のニュースはコチラ

http://www.faust-ag.jp/soul/adventure/soul004-1.php

ファウストA.G.アワード受賞の模様はコチラ

http://www.faust-ag.jp/quest/quest014/

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Yves Rossy
イヴ・ロッシー

冒険家“ジェットマン”


1959年8月27日スイス生まれ。20~28歳まで、空軍にてハンター、タイガーF-5、ミラージュⅢなどのパイロット。88年からスイス・インターナショナルエアラインズにて、ボーイング747やDC-7の副操縦士、エアバスの機長を務め、現在は自ら開発したジェットウィングを背負い飛行する“ジェットマン”として冒険のため3年間の休職中。ウィングは幅約2.5m、ジェットエンジン4基を搭載し、最高時速300km、飛行時間は最長10分(積載燃料の都合。2008年当時)で、3000m上空を飛行可能。折り畳み式。2004年、ジェットウィングでの初飛行に世界初で成功。08年9月26日、ドーバー海峡横断飛行に世界初成功。フランス側から上空2500mまでプロペラ機で上昇、空中へダイブし、35kmの海峡を約10分で横断しパラシュートで着地した。この冒険はヨーロッパを始め世界から注目を集め、「ガーディアン」、「タイム」紙などの新聞の一面を飾る。09年11月、ジブラルタル海峡(モロッコ~スペイン間)の横断飛行に挑戦するも、雲中で乱気流に遭い断念、パラシュートで海に不時着し、失敗に終る。現在はグランドキャニオンでの飛行を計画中。

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