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Vol.27
室屋義秀 悲願の初優勝
レッドブル・エアレース2016 千葉

悲願のレッドブル・エアレースでの優勝を、母国開催の千葉大会で実現した室屋義秀。2016年6月5日は、大空の覇者を目指した男がひとつの頂点を極めた一日となった。25年前、エアロバティックスの飛行時間10時間足らずの若干20歳の室屋に「お前は世界チャンピオンになれる」と告げた最初の師匠ランディ・ガニエ。その言葉を信じただ一図に“翼のある人生”を生きるべく道を切り開いてきた室屋は、今やエアレースに参戦するチーム・ファルケンのメンバー、そして活動拠点の福島にいるチームのメンバーに支えられ、5万人の観客の声援に応えてみせた。
この勝利はパイロット一人のものではない、チームの勝利だと何度も繰り返した室屋。一人の男がチームと共に夢にまでみた瞬間を、その手につかんだ大会を振り返る。

チーム・ファルケンがつかんだ初優勝

室屋の会心のパフォーマンスを支えるチーム・ファルケン。©Jörg Mitter/Red Bull Content Pool
緊張感の漂うハンガーのなかでも、リラックスした表情。チーム・ファルケンの絆が垣間見られる。©Jason Halayko/Red Bull Content Pool

6月5日、雨の日曜日。浦安の護岸エプロンに設けられた滑走路と機体格納庫(ハンガー)。取材陣に開放されたハンガーでは、室屋の意気込みをとらえるべく、報道各社が我先にとチーム・ファルケンのもとへと急いだ。しかし、大会アンバサダーでもあり地元の期待を一身に受けている本人はいたって冷静な様子。まったく気負うことなくレースクイーンと談笑する余裕すら見せながら、報道陣を迎えた。かえって、報道陣の方が緊張していたのかもしれない。
天候回復の予報が出てはいるものの、雨はあがったばかりで、この日梅雨入り宣言を聞くことになる浦安の空はどんよりと曇っている。前日の予選を飛べなかったことへの感想、ラウンド・オブ・14での対戦相手の印象、きっと何度も聞かれたであろう質問に気負うことなく丁寧に答える室屋。その後ろでチームメンバーは機体の最終調整に余念がない。マスキングテープで細かい隙間も塞いで空気抵抗を減らす作業をしているという。その様子を気にしながらも室屋は「パイロットはチームの1ピースに過ぎない。(自分は)今皆さんの前でお話しすることが役割」と語った。

振り返れば、室屋はエアレースが中断されている時から、スカイスポーツの国際大会に「日本チーム」で参戦することの重要性を語っていた。 2012年に参戦したアドバンスクラスの世界選手権(WAAC=World Advanced Aerobatic Championship)には、かつて室屋のグライダーの教官でもあった岩田圭司とともにはじめて日本チームの体制で大会に臨んだ。
以降、エアレース復活後もチーム体制の構築と強化に取り組み、今季はロブ・フライ(チーム・コーディネーター)、ケリー−・ヴォールゲル(テクニシャン)、ベンジャミン・フリーラブ(レース・アナリスト)とともにチーム・ファルケンを構成し参戦している。

2016年シーズン開幕のアブダビ戦、続くシュピールベルク戦はオーバーGによるDNFと、不本意な結果で終えていたチーム・ファルケンは、万全の態勢で千葉大会に臨むべく、2週間前から室屋の活動拠点であるふくしまスカイパークに集結し、最終トレーニングと調整に力を尽くした。そして大会2日前、室屋は出場選手のなかでただ一人、フライインで千葉へと降り立つ。このふくしまスカイパークでの2週間を室屋は、優勝後の記者会見で「チームの力で、機体が早いから(パイロットは)無理しなくていいという体制が整えられた」と振り返った。

2012年、WAAC出場に向けてふくしまスカイパークでトレーニング中の室屋と岩田。指導はコーチに招聘したパトリック・パリス。©Kiyoshi Tsuzuki
WAACに一緒に出場したパイロット岩田圭司(右から2人目)とマネージャーを引き受けてくれた高木裕一(右端)©Pathfinder

25年を経て訪れた歓喜の瞬間

昼前には雨も上がり、決勝のラウンド・オブ・14が始まるころには薄日がさすほどに天候が回復していた。しかし実はこの時、レーストラック上は「意外に風が強く難しい状況だった」という。ラウンド・オブ・14の第二ヒートに登場した室屋は、対戦相手のピート・マクロードに先立ってのフライト。スモークがでないというアクシデントで1秒のペナルティが加算され、1:06.022でフィニッシュ。本人はレース後にスモークシステムのトラブルを知ることになる。スモークシステムは前戦でも不具合があり、福島で再度調整し、入念に対策したはずの箇所だった。対戦相手のピート・マクロードがDNFとなり、室屋のラウンド・オブ・8への進出が決まったものの、スモークトラブルの原因究明と修理には1時間足らずの猶予しか残されていない。
しかし、チーム・ファルケンは見事な集中力でこのピンチを切り抜ける。つづくラウンド・オブ・8で室屋はチームのハードワークに応えるかのように最速の1:04.610のタイムを叩き出し、ファイナル4へ進出を決めた。

会場に集まったファンだけでなく、日本中、世界中のファンが室屋の快進撃に釘付けとなった。©Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool
「マクハリターン」と呼ばれるバーチカルターンのポイント。パイロット泣かせの難所のひとつ。©Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool

ついに室屋の母国大会での表彰台獲得が現実味を帯びてきた。
ファイナル4は4人のパイロットのフライトタイムで順位が決まる。フライト順2番目の室屋が、最初に飛んだナイジェル・ラムのタイムを上回った時点で、表彰台が確定。すでに涙を流すファンも多くいたなか、さらなる歓喜の瞬間が訪れようとしていた。ファイナル4、最後に飛んだマルティン・ソンカとのタイム差はわずか0.1秒室屋が上回り、自身初となる優勝。幕張に集まったファンだけでなく、インターネット生中継でチームにエールを送り続けた世界中のそして福島の人々の願いが届いた瞬間だった。

あふれる涙をぬぐいながら祝福に応える室屋。しかしその周りで室屋以上に涙を流していたのは、チームのスタッフであり、レースの運営に携わった人たちであり、チーム・ファルケンの勇姿を見届けたファンの人たちだったように思う。みんな知っているのだ。チーム・ファルケンがこれまでこの勝利を味わうにふさわしい、充分すぎるほどの努力を重ねてきたことを。

優勝を決めた室屋のフライトとハイライトをもう一度!

公式記者会見の会場となったメディアセンターには、今や遅しと多くのメディア関係者が“日本のヒーロー”の登場を待ちわびている。昨年は地元の初開催のために前倒しで新型機体を導入し、フライトセッションも充分でないままぶっつけ本番で飛んだ千葉の空だった。しかも大会アンバサダーとして、数々の取材やセレモニー、イベントを消化し、競技に集中しきれた環境ではなかったであろうことは想像に難くない。母国での開催は、地元でセットアップができるというメリットがある反面、注目が集まるため時間のマネジメントが難しいというのも事実だ。しかしこの日、室屋はマーティン・ソンカ、カービー・チャンブリスを従えて、チャンピオンとして、チーム・ファルケンの代表としてこの場に帰ってきた。
ただ純粋に空を自由に飛ぶことを追い求め、操縦技術世界一の道を極めようと歩んできた時間はすでに25年が過ぎていた。詰め掛けた取材陣の一人に、空に憧れた子供の頃に自分になんと伝えたいかと問われ、答えた言葉が深く胸に刻まれる。

「思いや言葉は力を持っている。言い続けていると現実味を帯びてきて、言葉にしたことの半分以上は叶う。妄想でもいいから言葉にし続けろ」

©Jörg Mitter/Red Bull Content Pool

いま思い返しても夢のような光景だ。世界最高峰のモータースポーツ、レッドブル・エアレースの表彰台の真ん中で、流れる君が代にまぶた閉じ、力強く直立している日本人選手。室屋がついに世界の頂点に立ったのだ。その空が、多くの支援者や関係者、ファンが見守る日本の空であったことに感謝したい。
「この光景は何度もシュミレーションした。まだかなぁと思ったこともあったけど、ようやく(実現できた)」とおどけた表現で振り返った室屋。 エアレースではじめて表彰台にあがった2014年。年間で通算2度、表彰台にあがった2015年。そして、ついにその真ん中に立った2016年。順調に着実にステップアップをしているかのように見えるその実態は、チームがそして室屋が苦しみ、もがき、次々に押し寄せる困難に立ち向かい、乗り越えてきた果てにたどり着いた結果であることを多くのファンが知っている。そして乗り越えた困難が大きければ大きいほど、チーム・ファルケンは確実に強くなり絆を深めているのだ。
After race is before race. 今年の目標を年間総合表彰台と定めるチーム・ファルケンは、早くも次の戦いを見据えているはずだ。

©Jörg Mitter/Red Bull Content Pool
©Jörg Mitter/Red Bull Content Pool
写真左©Jason Halayko/Red Bull Content Pool、写真中・右 ©Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool

最後に祝賀ムードに包まれた中、多忙なスケジュールに追われる室屋が、ファウストA.G.に寄せてくれたコメントを原文のままご紹介する。

今シーズン序盤の2戦は僕にとって苦しい内容でしたので、その状態で母国レースを迎えることは、ファンの皆さんからの期待というプレッシャーも重なって非常に難しいものになる可能性がありましたが、メンタルトレーニング含め、多くの準備と努力を重ね、しっかりと心を整えた状態で千葉に臨みました。

母国のファンの皆さんからの応援は、本当に僕を後押ししてくれました。この週末を通して自分のフライトに100%の力を尽くしましたが、ファンの皆さんの応援が更に10%の力を与えてくれました。マルティン(ソンカ)と僕のタイム差は0.1秒でしたが、皆さんの応援があとその差を生み出してくれたと思っています。

ラウンド・オブ・14で発生したスモークポンプのトラブルに関しては、前戦のシュピールベルクでも同様のトラブルが発生していたので、修正に多くの労力を注いでいました。実際、日曜の決勝レース日までトラブルの兆候は見られなかったのですが、何らかの理由で再びトラブルが起きてしまいました。着陸直後から、次のラウンドまでの短い時間(1時間)の間に、チームスタッフが懸命に作業してくれました。このトラブルを解決できるかどうかが、この週末の結果を大きく左右したと思います。解決できていなければ、僕は表彰台に立てていなかったかと思います。

多くの方の支えのおかげで、25年のキャリアで初優勝することができました。随分長い時間がかかりましたが、最高の気分です。自分とチームにとって大きな記録になりました。

室屋義秀

 

Profile

Yoshihide Muroya

室屋義秀

1973年1月27日生まれ。エアショー、レッドブル・エアレースパイロット。国内ではエアロバティックス(アクロバット/曲技飛行)のエアショーパイロットとして全国を飛び回る中、全日本曲技飛行競技会の開催をサポートするなど、世界中から得たノウハウを生かして安全推進活動にも精力的に取り組み、スカイスポーツ振興のために地上と大空を結ぶ架け橋となるべく活動を続けている。
2008年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、2009年からレースに参戦。2010年も善戦するも、レッドブル・エアレースは2011年から休止に。2011年、エアロバティックス世界選手権WACに出場。2012年アドバンストクラス世界選手権WAACに日本チームとして出場、2013年再びWACに出場し、自由演技の「4ミニッツ」競技で世界の強豪と争い6位に。2014年復活したレッドブル・エアレースに12人のパイロットの1人として参戦継続。第2戦で自身初の表彰台3位へ。2015年念願の日本開催実現、新機体V3を投入、コンスタントに表彰台を狙う。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤作りにも取り組む。東日本震災復興においてはふくしま会議への協力など尽力する。2009年、ファウストA.G.アワード挑戦者賞を受賞。
Photo:Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool

 

Data

室屋義秀 公式ページ
http://www.yoshi-muroya.jp

Team Yoshi MUROYA公式ページ
http://yoshi-muroya.jp/race/

レッドブル・エアレース公式ページ
http://www.redbullairrace.com/ja_JP

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