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Kojiro Shiraishi

白石康次郎

海洋冒険家

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嵐には愛も勇気も歯が立たない。ひとり自分だけが打ち勝てる

「この海を越えたらどうなるんだろう」
冒険はいつだって身近なところから始まっていく――

海に囲まれた島国、日本。
海を越えればずっと広い世界があるのは分かっているのに、
多くの人は、そこを「陸の終わり」と考えてしまう。
白石康次郎は、そう思わなかった。
海の向こうにこそ何かがある。
そして七つの海を渡り帰ってきた時、
自分の存在の意味を知ったのだった。

海は本当に一つに繋がっている

想像を絶する嵐を乗り越え、「spirit of yukoh」号は白石を快挙へと導いてくれた。

 「僕はね、電車とクルマと飛行機を使わずにニューヨークに行ったことがあるよ」
白石康次郎は地球儀をクルクルと指先ではじきながら外洋ヨットの魅力を、こう表現した。
ヨットの上で一人夜空を見上げれば、オーロラが見えた。
白昼、不思議な形の雲だなぁと思ったらハレー彗星よりも大きいとマックノート彗星だった。
外洋でベタ凪になると水面が鏡のようになる。そんな時、満天の星空が水面に映ると上下左右の視界のすべてが星空になる。
自分が宇宙の一部であることを感じた。

白石康次郎は海洋冒険家だ。風を読み、海流を見て外洋ヨットを駆り、大海を行く。
世界最年少単独無寄港世界一周を達成し、世界的セイラー、ブルーノ・ベイロン氏のヨットクルーとして太平洋横断世界新記録樹立に貢献。単独世界一周ヨットレース「5 OCEANS」クラス1にて、日本人初参戦の快挙となる2位を記録し、「Gitana13」ではサンフランシスコ~横浜間の世界横断記録を樹立という、日本の外洋ヨットの第一人者だ。
特に「5 OCEANS」は、たった一人のスキッパーがヨットを操縦し、わずか2カ所の寄港地を経て再びスタート地点に戻ってゴールという、単独世界一周ヨットレース。1日24時間すべてがレースタイムであり、それがおよそ8カ月間も続くという過酷さの、“史上最も開催期間が長い”スポーツである。

「飛び込めば死ねる」状況で自分の生き方を知った

 しかし輝かしい白石の経歴は順風満帆どころか、文字通り嵐に翻弄されてきた。
「最初の世界一周に成功するまでに僕は二回失敗しています。嵐でマストは折れるは、セイルは破れるは、そりゃ、ひどいもんですよ。南氷洋では雪が降るし何日も何日も嵐は続いて、そして泣く泣く引き返したわけです」
「悔しくて死にたい」という表現があるが、これは外洋ヨットでは比喩にならないという。見渡す限りに人間は自分ひとり。青く輝く海も、外洋に出れば深度1万メートルの漆黒の闇。悔しければいくらでも「飛び込めば死ねる」状況だ。

ヨットを操る白石。航海は当然晴天ばかりではない。

 「僕がどんなに頑張っても、強がっても、努力しても、嵐には通用しなかった(笑)。僕が死んだところで海は悲しまないし、レースに優勝したところで喜ばない。海はとうとうと流れていくだけなんです」
白石を貫く一つの考えがあるとすれば、“前向きなペシミスティック”とでも言うべきものだろう。ビルの3階分もあるような波に襲われ、もみくちゃにされて食べるものも食べられずに寒さと揺れで衰弱していく自分。そんな大自然の中でじたばたもがく自分を見下ろし、客観視するもう一つの目線を白石は持つようになった。そして、海を冒険していく極限状況の中での自分の在り方を体得することになる。
「瞬間瞬間、自分の最大限出来ることをやっていくしかないと悟りました。嵐の時は嵐の時に自分が出来ることを、凪の時は凪の時に自分ができることを、です。自然を客観的にとらえ、冷静沈着に対処しなければいけない。何フィートもあるような大波に阻まれたからといって、怖がっても意味はない。大きい波はただ『うん、大きい』と認めるだけ。それに対していかに船を操るかしか、その場においての僕の存在意義はないんですから。希望的観測は海には通じない。それは冒険ではなくて無謀です。自分を尽くすこと以外に、生きて行くには方法がないと思います」
世界一周航海の継続を断念した時に白石ができることは、海に飛び込むことではなく、恥を忍んで陸に上がり、スポンサーに詫びの挨拶に回ることだった。

 白石の冒険は、一人でできるものではない。莫大な費用とスタッフのサポートが必要だ。しかし、スポンサーになっていくれる企業自体が日本では貴重な存在でもある。モータースポーツ、自転車、スキー、スノーボード…。欧米に比べて日本は機材スポーツに対する理解が少ないという現実がある。さらに愛好者人口が少ないヨットとなれば、なおのことだろう。
「それは、良い悪いということではないと思っています。文化の違いですから、仕方ありません。日本は農耕民族じゃないですか。僕の田舎は富山で百姓をやっています。田植えはみんなで仲良く並んで縦に動くと効率がいい。コメは一人じゃ出来ないんですよ。狩猟は腕一本で出来ますが、その代わり、未知の土地へ冒険をしないと獲物は捕れないわけです」

日本は他人の冒険に興味を持ちにくく、ゆえにメディアなどに露出できる保証もない。なにより失敗する可能性の方が高い。失敗する可能性の高いところに資金を提供することはできないだろう。
「冒険にお金を出してくれる人はいません。ヨットで一人で世界を一周したいという僕の志…というか考えを応援してくれるんですよ。ヨットが好きという人もいません。僕の場合、最悪は死ぬのでハイリスク・ノーリターン。そもそも企画書で通る案件じゃないですし」
数十の企業を回っても支援が得られないということは日常茶飯時。しかし「資産なんて言えるものは何もない」から陸に上がっているとき、白石は企業や学校での講演、子供たちのヨット教室などを行い、日々全国を飛び回るようになった。

この海を越えたら何があるか知りたかった

 白石とヨットとの出会いは、少年時代にさかのぼる。

育ちは鎌倉、目の前に海が当たり前にある生活だった。ある時、ふと「この海を越えたら何があるんだろう」と思った瞬間、白石は自分の進むべき道を意識し始めた。とりあえず船なら…ということで水産高校に入学した。ヨットを知ったのはそのときだ。風の音と波の音だけで、自然の力で走る姿に魅せられた。そして、その時、ふいに自分が世界一周をしているイメージが浮かんできた。
水産高校でヨットをこれ以上は学ぶことはできない。ヨットを学び、乗るためのもっともストレートな方法――ヨットの第一人者に会うこと――を思いついた白石は東京駅で電話帳を開き、多田雄幸氏に電話をした。押しかけて勝手に弟子入りしてしまう。「やらない後悔よりやった後悔」と成功者の多くはいうけれど、ここまでストレートな行動を取る人間も珍しいのではないか。
「だって、ヨットを知らないんだもの(笑)。本人に聞くのが一番いいじゃない」
今日も、白石はこの行動力でスポンサーを探し、講演を行い、ヨットを知らない人も味方に付けてレースに出場している。

 ヨットレースの凄まじさは、そうして集めた資金を、一つのレースに参加すればすべて使い果たしてしまう点にもある。人が小遣いを貯めて趣味の道具を駆ったり、旅行に行って使うというようなサイクルを白石は人生をかけてやっている。
「レースというのは、まさに花なんですね。でもね『オレ、花咲かせたからもういいや』っていう植物ってないですよね。実を付けてDNAを後世に残す。これが自然の理(ことわり)です。人間もその理の中で生かされているということを海から学んだのです。実を残すことが大事ではないかと。だから一回のレースで資金を全部使っても無駄と思わない。冒険であると同時に自分の人生そのものですから」

洋上のヨット「spirit of yukoh」号で瞑想する白石。

冒険は自分のためだけに存在しない。

 白石は共著を含めてこれまで4冊の本を出している。「これ以上ないくらいで、本当に2カ月逃げ続けたことがある」という執筆の仕事だが、植村直己やジョン万次郎の本を読み、冒険へのあこがれを募らせた自分が居たように、その経験を残すことが使命でもあると白石は考えている。同時に講演やヨット教室で子供たちにも学んだことを伝えて行く。レースのために日々を過ごすのではなく、レースで得たものを伝えるために日々を過ごしているのだ。

「NHKの番組で自分の母校を訪ねて、子どもたちに『自分の夢を絵を描け』といったら、漫画家の助手とかウインブルドンでベスト16とかの絵が出てくるわけですよ。一位になるよりわざわざベスト16を狙う方が大変だろうと思うのですけどね(笑)。そしてなにより、出てくるのがすべて“職業”なんです。
僕は『夢を描け』と言ったのに。変に現実的だし、自分で自分に限界を設けている。つまらないですよね。夢の選択肢は無限にあって、それを具体的に考えていくことが大切なんだよと伝えるのが役割と思っています」

冒険の夢は次から次へと沸いてくる。

 子供たちに夢を気がつかせることが、自分の存在意義でもあるという白石自身の夢は、ヨットでの世界一周だった。はじめてヨットに乗った時に不思議とイメージできたそれは、今すでに達成してしまった。
「イメージできることは実現できる」。1993年、4万6115km、176日間の世界一周航海を終えて地面を踏んだ時、「ああ、そんなもんだ」とすとんと胃の腑に落ちた感じがあった。恋い焦がれていた世界一周は意外とそういうものだったという。
「ほっとしたんですよ。これまで助けてきてもらった人たちに、やっとはじめて何万部の一かでも恩返しが出来たと。二回も失敗して仲間にもつらい思いをさせてしまったので」
そして、2007年、「5 OCEANS」で2位の快挙を成し遂げたとき、次の夢が生まれていた。それは自分の好きなデザイナーに船を好きなように設計してもらい、最高のクルーをそろえて練習を積み、最高・最強の状態で世界一周へのスタートを切ることだ。

 すでに頭の中にイメージは出来ている。だから、きっと白石はそれを実現するだろう。
「50歳くらいまでにあと2レースくらい出られたらいいですねぇ」
2レースというのは、もちろん地球を2周するということである。

2006年、単独世界一周ヨットレース「5-OCEANS」に日本人初のクラスⅠにて2位の快挙。ゴールのスペイン・ビルバオにて。

Data

白石康次郎オフィシャルサイト
http://www.kojiro.jp/

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Kojiro Shiraishi
白石康次郎

海洋冒険家


1967年生まれ。海洋冒険家。第一回単独世界一周レース(BOCレース)優勝の故多田雄幸氏に弟子入りし、数度のレースクルーとして経験を積む。1991年シドニー~伊豆松崎の太平洋単独横断成功を皮切りに1993年、世界最年少単独無寄港世界一周(26歳)を達成。2002年「アラウンド・アローン」クラス2 4位の後、2006年「5 OCEANS」クラス1で2位の快挙、「Gitana13」で世界横断記録樹立。外洋ヨット冒険の第一人者。また、ヨット以外にも「エコ・チャレンジ」「レイド・ゴロワーズ」などに挑戦する生粋の冒険家であり、同時に文部科学省子ども居場所事業キャンペーンメンバー横浜市教育改革会議委員として子供の教育活動にも積極的に関与している。

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