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Felix Baumgartner

フェリックス・バウムガートナー

ベースジャンパー

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困難を乗り越えて、天空へ

その時、世界は固唾を飲んで、前人未到のダイブを見守っていた。それは現代の「One giant leap」———かつての人々がアームストロング船長の偉大な一歩を見守ったように、我々は彼のチャレンジの一部始終を、祈るような思いで見つめていた。フェリックス・バウムガートナー。成層圏から飛び、地球へ降りてきた男。そして、体ひとつで初めて音速を超えた唯一の男。

2013年5月、“レッドブル・ストラトス”を共に支えたスイス高級時計ゼニス社主催による記念イベントのために、ファウスト魂を体現するこの愛すべきデアデビルが初来日。ファウストA.G.アワード2012の大賞トロフィーを改めて授与すると共に、世界のヒーローとなった今の心境を聞いた。

自分の「限界」を押し上げる

宇宙と惑星の境は何故こんなにも人を引きつけるのか。漆黒の闇はやがて濃い青に変わり、薄い大気の膜は、虹を閉じ込めたような色を伴って、懐かしい大地へと吸い込まれていく。丸く弧を描く地球を眼下に、ほんの数秒、この光景を独り占めし、フェリックスはこう言って一歩を踏み出した。







「時に人は、こんなにも高くまで来なくてはならない。
自分がいかに小さいか知るために」
「今、帰るよ」------------------------
それは実に5年もの歳月をかけた大プロジェクト“レッドブル・ストラトス”の、気の遠くなるような長く過酷な、最後の一歩だった。

「冒険や挑戦、どこまでも行ってみたいという心。そういうものが僕を駆り立てているんです。僕の中に常にあるのは、『自分の限界を押し上げる』ということ。その可能性を拓くためには、まず『自分の限界がどこにあるのか』を知ることが重要です。それは人類にとっても同じことで、物事を探求し探検し限界を知り、その限界を広げようと挑戦することこそが進歩に繋がる。だからこそ僕たちはニール・アームストロングや、(航空界のパイオニアとなった)ルイ・ブレリオ、最初に飛行機で空を飛んだライト兄弟のような人々を必要としてきたし、また『その先に何が待ち受けているのか』を探求するんです。宇宙はあまりにも広大で、知らないことばかり。けれど、そこに何があるかを探し続ける限り、僕たちは前へ進めるんです」。

長い年月を要したプロジェクトの実現。そして、無事の生還。それはフェリックスにとって「限界」という自らの「宇宙の境」を押し上げる作業に他ならなかった。一時は中止も囁かれたこの途方もないプロジェクトを、成功に導いたポイントは何だったのだろう。これまでとは少々勝手が違ったようだが?

「確かにこれまでのプロジェクトと違ったかも知れません。けれど、それは『規模が違う』ということであって、大きいからと言って、それが故に叶わないということではないですよね。プロジェクトというのは必ず“どこかから始まる”ものだし、その時点では「規模」は全く関係ない。また、“どこかから始まる”ということが分かれば、そこからひとつの方向に向かって歩くだけ。そういう意味では、規模は違ってもこれまでのプロジェクトと変わらないと思っていました。ただ、期間としては当然ながら5年もかかりましたが、その5年間に適切な人と会い、私の力となってくれる人たちと出会えたことが私の成功に繋がったと思っています」。
「このプロジェクトは、ほとんどが科学に起因、帰属するようなものでした。かつてケネディ大統領は『我々は月へ行くことにした』と言いました。でも彼は『この十年以内で』という言い方をしたんです。科学というのはそういうもの。時間がかかるものです。最大の安全を担保しなければならないし、訓練も要する。でも「時間がかかるけれども必ず実現するものだ」と考えていれば、いつか必ず実現するんです」。

鳥のように空へ、そして宇宙へ

パイオニアと呼ばれる多くの冒険家や挑戦者がそうであるように、彼らの突拍子もない愛すべき挑戦が、やがて世界を変える大きなものに変化する瞬間がある。フェリックスもベースジャンプの世界では、かねてより知られた存在で、ファウストA.G.でも“危険なことが大好きな、いたずら好きな少年”のような彼の挑戦を伝えてきた。しかし当初、誰が、彼が人類の夢を背負って、国家プロジェクトに匹敵するような宇宙の冒険をする人間になると想像しただろう。常に思わされるのは、偉大な冒険というものは、最初は子供のような「その先に何があるのか」という純粋な好奇心から始まるのではないかということだ。

「僕もずっと小さい頃から『自分の限界はどこにあるのか』を知りたがる子供でした。木に登ってはどこまで遠くまで見えるかとか、どれだけ早く走れるか、と毎日挑戦しているような。そういう意味では、早い時期から冒険心や好奇心に満ちあふれていた子供だったかもしれません。同時に、ずっと『鳥のように飛びたい』という願望を非常に強く持っていました。その頃から『飛ぶ』というのは自分にとって『すべて』を意味していたんです。けれども、子供の自分には飛行機を操縦するというのは無理で、それでスカイダイビングをするようになりました。比較的安価で、簡単にできるという意味で『鳥のように飛ぶ』ための最も近い道だったので」。

鳥のように自由に空を飛びたい。フェリックスもまた、そのような思いに取り付かれてここまできた。体ひとつで空気の流れを感じながら、それをコントロールして飛ぶ、ということが何よりの冒険で喜びだった。

「何故山に登るとか深海に潜るとかでなく、ことさら飛ぶことに惹かれたのかは、よくわかりません。ただ、空ではーー最初にスカイダイビングをしたのは16歳の頃ですがーー『これが僕の世界なんだ!』と即座に思えました。どんな人にも何かをしてみて『これは自分だ、自然だ』と思えるか、あるいはそうでないかという直感があると思うけれど、もし何かをして「これは自分にとって自然だ」と思えたら、それを続けるべきだと思います。ダイビングをやってみても、水の中では一度も『自然だ』と思えたことがありませんでしたね。僕は鳥なんですよ、魚じゃなくて(笑)」。

恐怖を好きになること

ところが、このレッドブル・ストラトスで最後までフェリックに立ちはだかったのは、まさに「潜水服で深海に潜るような」感覚になる宇宙服への違和感だった。自らの体で風と空気を捉えて自由に体をコントロールできるスカイダイビングと、完全に外界と遮断されたような宇宙服を着てのダイブはまるで別もの。ゴムの匂い、皮膚感覚、不自由さ。それらの不快感が恐怖へと変わっていった。もちろん、ほぼ真空の成層圏近くでは「風を捉える」ことすらできない。ただでさえ命掛けのダイビングに、更なる恐怖がのしかかった。

フェリックスの格言は「恐怖とされていたものを愛せ“Learn to love what you've been taught to fear”」である。「誰にも限界はある。だが、誰もがそれを受け入れるわけではない“Everyone has limits, but not everyone accepts them"」というものも。

「人生において一番価値があり、また失ってはならないものは命です。僕のスポーツの恐怖というのは、普通の人が生活の中で抱く恐れやプレッシャーとは違う。事業に失敗してお金や仕事を失うかもとか、そういうものではありません。そういうものなら、失敗してもそこからやり直すことができる。けれど僕のチャレンジの場合、失敗したら死。二度目のチャンスはないんです」

宇宙服への恐怖を克服するために、彼は一旦プロジェクトを離れ、苦手な潜水服での水中ダイビングをトレーニングに組み込み、メンタル・トレーニングも行った。死の恐怖。そして一番のプレッシャーは、それを家族に見せることになるかも知れないということ。家族や恋人の目の前でのジャンプは実はこれが初めてだった。いったいどのように、恐怖やプレッシャーをコントロールしたのか?

「恐怖をコントロールするためには「恐れ」と「痛み」を区別すること。この二つは違う感情だと理解することです。「恐怖」は上手に取り扱うと、とても良いもの。集中させ、覚醒させ、システムを活性化させてくれる。ところが、「恐怖」と「痛み」を繋げてしまい、そしてそれが「パニック」に変わると、体と思考のコントロールは効かなくなり、間違った行動をしてしまう。だから絶対に「恐怖」を「パニック」に変えない。動揺しないように、パニックにならないように、そういうメンタル・コントロールをする必要があります」

“恐怖を好きになれ”とは確かにフェリックスの冒険哲学だったが、頭を中心に回転すればレッドアウト、足を中心に回転すればブラックアウト、いずれにしても命はないと言われていたスピン現象が始まったとき、果たしてパニックにはならなかったのか?

「なりませんでした。もちろん凄い恐怖はありました。全くの未知のシチュエーションで、自分の体がどうなるかわからない。でもとにかく平静でいるように努め、スピンしながら落ち続ける間中、解決方法をあれこれ考え、手足を動かしていた。もし僕があそこでパニックになっていたら、間違いをおかしていたでしょうし、決して助からなかったでしょう。誰にでも時々そういう恐怖に直面することがあると思います。消防士、警察官の方、事故にあったりした場合など。でも恐怖は必ずコントロールできるものです」。

From Faust A.G. Channel on [YouTube]

世紀の瞬間!成層圏からのフリーフォールをムービーで!
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パニックを回避し、体勢を整えたフェリックスは、安全を考慮し早めにパラシュートを開いて無事に着陸。数歩だけ走るように地面を移動した後、赤茶けた大地へ膝を落とし、高らかにガッツポーズを決めた。バイザーを上げ、ヘルメットを脱いで、テレビ中継のマイクに語った。「あの高度に立ったとき、謙虚な気持ちになりました」。それはまさにリアルヒーロー誕生の瞬間だった。

世界はヒーローを必要としている

5月8日。フェリックスは、弊社代官山Theatre CYBIRD (シアターサイバード)にて開催されたゼニス社主催のレセプション「スーパーソニック•カクテル」のために初来日。気さくで温かな雰囲気、疲れを知らぬ様子で自身のプロジェクトについて語り、旺盛にインタビューに答えた。
ゼニス本社CEOのジャン=フレデリック・デュフール氏も参加。成層圏から飛び降りる際に身につけていたエル・プリメロ ストラトス フライバック ストライキング 10th クロノグラフも披露された。(写真/フェリックス(右)と、司会のアラン・J(左))
ゼニス公式サイト:http://www.zenith-watches.com/jp_jp/

さて、そのヒーローは現在各国を飛び回って人々に体験を語っている。ヒーローになるというのは一体どんな気分かと、聞いてみた。

「ヒーローには、すべき仕事が沢山ありますね(笑)。…ヒーローというのは自分がなりますと言ってなるものではなく、人々がそう呼ぶことで作られる。たいていは何か凄いことをした人をヒーローと呼び、僕は音速を超えたことでそう呼ばれたけれど、別に音速を超える必要はない。燃え盛るビルの中から人を助け出す人だってヒーローですよね。でも、僕が思うに、『世界はヒーローを必要としている』んです。誰か見上げるべき人を。小さい子供にとっては両親がヒーローだけれど、いつの日か彼らのヒーローは別の誰かに変わっていく。そうして僕たちには、常にお手本となる誰か、尊敬する人が必要なんだと思います。「ああすごい! 自分もこんなことをしてみたい! この人になりたい!」と思える人が、成長のどの段階にも必要で、それはとても人間的なことです。そういう人たちを見て、学べることを学ぶ。色々なタイプのヒーローから素晴らしい部分を学び、自分のものにしていくんです。よりより人間になるためにね」。

飽くなき探究心と向上心。ギリギリのエッジに立ちながら、見果てぬ世界を、この目で見ようとする男。今、彼は世界各地で自身の憧れのヒーローと会い、体験を語り合っている。おそらくその頭の中で、更なる熱い挑戦を思い描きながら。

From Faust A.G. Channel on [YouTube]

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Felix Baumgartner
フェリックス・バウムガートナー

ベースジャンパー


1969年オーストリア・ザルツブルグ生まれ。1997年に米国ウェスト・バージニア州でB.A.S.E.ジャンプの世界タイトルを獲得し、1999年にペトロナス・ツインタワー(マレーシア)でB.A.S.E.ジャンプ世界記録とコルコバードのキリスト像(ブラジル)で世界最短落差B.A.S.E.ジャンプ記録を樹立。2003年にはカーボンファイバー製ウィングを身につけ英仏海峡をスカイダイビングで人類初横断。2004年2012年「レッドブル・ストラトス」で成層圏からの超音速スカイダイブに成功。4つの世界新記録を樹立。
 

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