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Hirobumi Ishikawa

石川博文

プロウェイクボーダー

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ウェイクボードの夢しか見ない

「ウェイクボードと出会っていなかったら、まともな生き方していなかったかもしれない」
大会会場ではあまり笑顔を見せず、どこか人を近づけないクールな雰囲気を持つ石川博文選手。そんな彼の雰囲気から“悪ヒロ”と呼ばれている。ところがひとたび彼を知るとそのギャップに驚かされる。ウェイクボード一筋、彼のウェイクボードに対する溢れんばかりの熱い思いが伝わってくる。

“できない”という悔しさが、僕を夢中にさせた。

ウェイクボードはサーフボードのような一枚板を装着し、モーターボートやジェットスキーなどで引っ張ってもらいながら、ボードの後にできる引き波を利用して、ジャンプやスラロームをしながら楽しむスポーツだ。1980年代にニュージーランドでスカーフボードと呼ばれる現在のウェイクボードの原型が考案され、数年後、アメリカでカルチャースポーツとして急成長したと言われている。
現在プロとして活動する石川がこのウェイクボードと出会ったのは24歳の時。今から約10年前のことだ。それまでの石川はスポーツとは無縁の世界にいた。
「スポーツを一生懸命するなんてかっこ悪いと思っていました。そんなことをするより単車をいじっている方がずっといいと思っていたので、当時の僕から今の姿は想像できなかった」と話す。





石川のトリックをムービーで!
「ヒールサイド・ロールトゥ・ブラインド」

ある日、仕事仲間と海で休日を過ごすことになった。その中の一人が持って来たウェイクボードがここまで彼の人生を大きく変えるとは…。
「最初はこれってめっちゃモテるんちゃう? みたいなノリでしたね。動機はかなり不純でした(笑)。まだ若かったし、男やし、ヒューヒュー言われたいっていう気持ち、あるじゃないですか。スポーツって好きじゃなかったけれど、遊び感覚でスノーボードは2度ほどやったことがあるんです。意外に簡単に乗れてしまってあまりハマらなかった。それなのにウェイクボードは、一緒にいた仲間の中で俺だけが一度も立つことができず本気で悔しかった。だから翌日には道具の善し悪しも分からず、とにかくプロモデル一式買いに行ったんです。ショップの人に“とりあえずここにある一番良い道具ちょうだい”ってね(笑)」。
これが負けず嫌いの石川をウェイクボードの世界へ導くきっかけとなった。道具を買ったショップでスクールをやっていることを知り、早速申し込んだのだ。
「始めは遊び感覚だったんですよ。スクールに入って教えてもらうなんてこれまでの人生ではなかったので、それも新鮮だった。雑誌を買って研究して…。とにかく気合いだけは入っていました」
当時は波のサイズやレベルによってボードが違うこと、スラロームだけではなく様々なトリックがあることなど、基礎的なことも知らなかった。水の堅さや柔らかさによって、滑りの違いがあることも実地で学んだ。水は海水が混じれば柔らかくなり、湖や川の水は堅くなる。例えばスノーボードで雪上を滑るとき、ふかふかのパウダーとグルーミングされた圧雪バーンで乗り方を変えるように、ウェイクボードでも水の堅さによって乗り方が変わるのだ。

メンタルの弱さが
プロへの道を遠ざけた。

ウェイクボードを始めて4年後の夏、周囲の勧めで大会へ出場することになった。
「初めて地区ブロックのアマチュアカテゴリーで出場して、いきなり4位。周囲は“誰だ?”って感じだったみたいですね。俺も調子に乗りやすいタイプなので、“これってもうちょっと練習したらプロになれる?”って思い始めたら、さらにはまって」と語る。

ところが、プロへの道はそう簡単ではなかった。
地区予選や大事な大会の予選ではトップ通過するのに、プロになるための全日本大会の決勝でどうしても成績が残せないのだ。人一倍時間をかけて練習し、普段の滑りでは注目されていたが、ここぞというところでメンタルの弱さが浮き彫りとなった。
「とにかく大会に出続けました。当時アマチュアで3Dトリックをする選手っていなかったんですよ。なのに決勝でこけてしまう。だから周囲にも“なんでプロになられへんの?”と聞かれることもありました」
週のほとんどをウェイクボードの練習に費やす日々が続き、結局、プロとなったのはそれから4年後だった。ようやくプロとなった石川だが、彼の話の節々から、ちょっとしたバーンアウト状態に陥ったようにも感じられる。その翌年、彼はプロツアーには出場せず、主要な大会のみに出場していた。

石川のトリックをムービーで!
「ラップエントリー/ファイブフォーティ(540)」

勝敗だけでなく、変えること、次世代へ残すこと。

国内でリスペクトする“マット”(高岩正人選手)のもとでトレーニングを積みようやくプロとなった石川は、本場フロリダの選手たちから刺激を受けるようにもなった。世界、特にアメリカではトップ選手たちの多くが10代だ。35歳になる石川はそれを意識してか次を見据えてのウェイクボードとの関わりを考え始めている。

石川のトリックをムービーで!
「アザーハンド・フーチー」

石川のトリックをムービーで!
「フロントロール・ステイルフィッシュグラブ」

「体力的にはまだまだイケると思っています。でもプロを目指していたときと実際にプロになってからでは意識が変わってきたのも確か。やっぱりプロってこれからの若い人たちの憧れである必要があると思う。それは競技者としての強さだけじゃなく、魅せる滑りもできないと。だからもっといろいろ勉強したくて本場フロリダへ短期修行に行きました。基本的なスタイルや感性の違いに刺激を受けましたね。アメリカは理に適った滑りをするんですよ。それを普通はなかなか一緒に滑ることなどできない海外のトップライダーたちから、生活を共にしながら学ぶことができた。もの凄く恵まれた環境にいると思います。そんな環境が目の前にあるのだから、これをきちんと生かして、自分だけではなく、次の世代にも伝えていかなくてはと考えるようにもなりましたね」

「今年はプロツアーに、できる限り全戦出場したい」と考えている石川。勝ち負けだけではなく、変えていかなければならないこと、残さなければならないことを、選手として出場することで伝えていこうとしている。
ちなみに彼が出場するアジアンプロツアーは年間4戦。回転数や高さ、技の難易度、トリックのつなぎのスムーズさやバリエーションなど、5つの基準でジャッジされる。今シーズンは第一戦が6月に東京・豊洲で開催され、もちろん石川も参戦中だ。

次のステップ、
競技者から表現者へ

現在、生まれ育った大阪を引き上げて、埼玉・川口の荒川に拠点をおいて活動する石川。
「とにかくウェイクの夢しか見ないんです。他の夢は一切見ない。しかも夢で見る俺って実際にはできないトリックばかりなのにメッチャ上手いんですよ。それが全てスローで見える。だから夢を見た翌日には、できるんじゃないかと思って、そのトリックにトライするんですけど、結局ぶっ刺さるんですよね(笑)。でもいつかできる! って思ってますよ」
プロとなった今、彼の目標は、いかにウェイクボードを「格好良く」魅せることが出来るかにある。それは難易度だけでなく膝の曲げ、腕の動き、ボードのつかみ方など、細かな動きも全て含めてのことだ。彼は今、競技者としてだけでなく表現者としてできる限りの時間をウェイクボードに注いでいる。

 

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Hirobumi Ishikawa
石川博文

プロウェイクボーダー


いしかわ・ひろぶみ。プロウェイクボーダー。1975年生まれ。2002年、24歳の時に友人が持っていたウェイクボードを使って始めたのがきっかけ。2006年、周囲の勧めで出場した関西地区ブロック和歌山大会で優勝、関西地区ブロック浜名湖大会マスターズで2位、同年全日本選手権マスターズで3位。2007年にも関西地区ブロック和歌山大会マスターズで優勝するが、プロの登龍門となる全日本大会で成績が残せず、2008年アマチュアランキングで4位となり、プロに昇格。2010年プロツアー初戦豊洲大会では2位に。現在はウェイクボードスクールMWBでインストラクターとして活動しながらプロツアーを転戦する。
公式サイト http://www.mwb-ts.com/

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