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Vol.12
高島郁夫、56歳で初のアイアンマンへ
冷静、平穏な心で臨んだ挑戦〔後編〕

スタート直前のコース変更とスタート時間の遅れ、さらには日本なら中止となるような高波のなかで強行されたスイムを、高島郁夫は冷静に泳ぎきった。しかし、まだ三つの種目のうちひとつが終わっただけである。
『アジア-パシフィック チャンピオンシップ メルボルン』は、56歳の初挑戦にさらなる試練を課そうとしていた──。

バイク180キロ

強風に見舞われる苦難のロード

スイムアップした高島、バイクへと移行。

スイム、バイク、ランの三つの種目のなかで、高島がもっとも得意とするのはバイクである。今回の出場に合わせて、マシンも「サーベロ P5」に新調した。だが、耐久性と快適性を兼備した愛車の性能を発揮するには、条件があまりにも過酷過ぎた。90キロを2周回するコースが、猛烈な強風にさらされていたのである。
「吹き荒れる、というような状態でした。天候は悪くなかったのですが、とにかく風に悩まされました」
レース前は平均時速30キロを想定していたが、強風のため平均22、23キロまでの減速を強いられた。風に煽られてハンドルを取られないように、細心の注意をはらいながらマシンを駆る。
35キロ付近のことだった。対向車線を走行していた女性が落車をする瞬間を目撃した。下り坂を滑るように落ちていき、身体が回転しながらようやく止まった。名前も知らない選手だが、同じ選手として安否が気になった。
高島の身体に、警戒心が走り抜ける。慎重さと大胆さのバランスがどちらか一方へ傾いたら、すぐにリタイヤの危機が襲いかかってくる。ハイウェイなのでコースの見通しは良いが、細かなアップダウンが続くので油断はできない。向かい風への苛立ちを心の奥底へ押し止め、高島は自分のペースを貫いていく。
栄養補給はこまめにするように心がけた。カーボショッツに定期的に手を伸ばし、おにぎりと羊羹も食べた。
「空腹を感じるまえに、栄養補給をするようにしました。自分の身体がどうなっていくのかが分からないし、不安もあったけれど、とにかくちゃんと栄養を取らなきゃいけないという予備知識はありましたから」
バイクの操作では、大腿四頭筋(だいたいしとうきん)を使うことを意識した。太股の前の筋肉である。
自己鍛練を重ねたトップアスリートは、どこの筋肉にどの程度の負荷がかかわっているのかが分かるという。筋肉が発する小さな囁きを、拾うことができるのだ。
高島はピッチやコートを主戦場とするアスリートではない。だが、日頃のトレーニングから筋肉との対話を意識してきたことで、こうした使い分けを可能にしてきたのだろう。
「バイクを漕いでいるときは、時計で言うと2時から4時くらいまでギュッと力を入れる。それは、練習からやってきたことです。アイアンマンへの挑戦にあたって、バイクは前の筋肉、ランは後ろの筋肉と、筋肉の使い分けをしたいと考えていました。大腿二頭筋を残しておけば、ランもいけるはずなので」

バイクパートにて、応援団に手を振る高島。右:バイクのコースマップ
バイクを折り返す高島。強風にてこづらされる。

45キロごとのペースは、時速約23キロ、同約29キロ、同約21キロ、同約22キロと記録されている。「風向きは、行きはアゲインストで帰りはフォローなんですが、2周回目は帰りもアゲインストに変わってしまって。結果、追い風に乗れたのは、190キロのうち最初の周回の帰り、45キロだけでした」という高島の皮膚感覚は、そのまま公式データに記されている。6時間から7時間を想定していたバイクに7時間42分を要し、スイム終了時からエイジグループでも総合でも順位を落とした。
「フラットなコースで風がなければ、時速32、33キロでずっといけたと思います。でも、あんなに風が強いとね、今回だけはダメだと。マシンの良さも、発揮できませんでした」だが、高島の心は折れていない。強い耐久力を持つ彼のハートは、最後のランへ力強く向かっていくのだ。

稲本をはじめ、M.I.T.メンバーも次々とバイクをクリア。

ラン42.2キロ

アイアンマンへの着実な足取り

競技がスタートしてから、すでに9時間近くが経過している。ここからさらに、フルマラソンを走り抜く──もう一度気持ちを奮い立たせる選手もいるはずだが、高島はまったく違う思いを抱いている。
「あとはもう、走るだけだ、と(笑)。あと42キロ走ればゴールだ、と思いましたね」
「アイアンマン アジア-パシフィック チャンピオンシップ メルボルン」のほぼ一カ月前にあたる2月24日、高島は香港マラソンに出場した。4時間17分台でフィニッシュした。フルマラソンを完走するのは、およそ20数年ぶりだった。
「20キロ、30キロは練習で走っていますが、それだけでなくフルマラソンを走っておいたことが、経験として役立ちました。レースがはじまるまえは、20キロを過ぎたら歩いてもいいんじゃないかと、みんなで話していたんです。残り20キロを時速6キロで歩いても、3、4時間でゴールできる。17時間の制限時間には間に合うだろうという見通しです。でも僕は、バイクの途中で、歩かないでいこうと決めたんです。バイクは予定より時間がかかってしまったので、ランで何とか巻き返したい。体力的にも何とかなりそうだったので」
9キロのチェックポイントまで時速7.2キロ強で、18.5キロまでは時速7.4キロ強のペースを保った。33.8キロのチェックポイントでは、時速8.09キロを記録する。
悪くないペースである。しかし、20キロを越えたあたりから足の横アーチに痛みが襲っていた。ボルタレン、コムレケア、塩カプセルを随時服用し、最後のおにぎりを口に運んだ。エイドステーションにも何度も立ち寄った。

ランへと入った高島。これから最後の42.2キロが正念場。右:ランのコースマップ
本田、稲本、アイアンマンチャレンジチームもランへ。

今回のランコースは、海外線をほぼ一直線にひた走る。周回コースではなく、他のランナーとすれ違うことはない。チームメイトと互いを励ますことができない。“孤独なひとり旅”である。

日も暮れ、ゴールへの最後の直線を走る高島。

高島はひとりの女性選手を仮想パートナーとした。女性と30キロあたりから抜きつ抜かれつを繰り返しながら、ひたすらにゴールを目ざす。

去来する感謝の気持ち

ビーチの遊歩道を使ったコースは、街灯が乏しい。空と海が茜色に染まった夕景も、高島の心を癒すことはなかった。日差しが落ちると、すっかり暗闇に包まれていく。
孤独が疲労を増長させる。
痛みが闘志を蝕もうとする。
高島の胸に、様々な思いが去来する。
何よりも大きかったのは感謝の気持ちだ。家族、社員、チームメイトなどの励ましと支えがなければ、この日のレースに挑戦することはできなかっただろう。彼らのためにも、フィニッシュのテープを切りたい。切らなければいけない。全身から体力と気力を振り絞り、高島はゴールを引き寄せていった。
そして──。
スタートから14時間12分42秒、高島の頭上にあのフレーズが降り注いだ。

FUMIO TAKASHIMA,
You’re an Iron man!

チームメイトのなかには、すでにゴールから4、5時間が経過している選手もいる。それだけに、高島は「待ちくたびれて誰も居ないんじゃないかなあ」と思っていた。
遠慮がちな予想は、見事に外れる。アイアンマンの称号を得た高島を、チームメイトの祝福が待っていた。
稲本は胸を熱くしていた。
「感動しました。来た! と。自分が連れてきてしまったというか、高島さんをアイアンマンに引きずりこんでしまったところがあるので、自分のゴールよりも嬉しかったですね」

高島は満面の笑顔と全身のガッツポーズでゴールを飾った。

ゴール直後の高島に、涙はなかった。安堵感に包まれたわけでもない。ほっとしたのは確かだが、充実感という言葉もどこかふさわしくない。自分でもうまく表現できないような、何とも不思議な感情に包まれていた。
「アイアンマンってアナウンスされて、ああ、いいんだと思った。でも、胸にグッとくるものはなかったんです。終わってみると、あっという間でしたし。まだ10キロぐらいは走れそうだったし、体力が尽きたら困るので、限界まで突っ込めなかった。意図的にペースを落としたところがありました」

高島のゴールをまっていたアイアンマンチャレンジチーム。全員が見事完走した。
レース翌日、アイアンマンアフターパーティは球場で開かれた。60歳代のトップ選手は、高島より早かった。あらたなアイアンマンへの目標ができた瞬間だった。

それでも、初挑戦で14時間前半のタイムは十分に評価されるものだ。
スイムの距離は短縮されたものの、高波と強風によるタイムロスは大きい。コンディションに恵まれていたら、もっといいタイムを弾き出せた可能性は高いだろう。
アイアンマンの称号を得た高島は、すぐに新たな闘志で全身を包んだ。
「アイアンマンのレースはだいたいこんな感じなんだな、というのが分かりましたし、このままでは何だかもったいない。また出なきゃと、すぐに思ったんです」
レースを終えたメンバーは、なんとそのままメルボルンの夜へ繰り出した。疲労に苛まれてホテルで休む者もいたが、最年長の高島は稲本らとともにグラスを傾けた。
高島が呟くように話した言葉が、稲本には忘れられない。
「『アイアンマンになるのに、強靱な肉体はいらない。けれど、強靱な精神力がいる。身体ではなく気持ちでやるという意味が良く分かった』と話していました。僕自身も高島さんのチャレンジをみて、その思いをさらに強くした。アイアンマンは鋼の肉体ではなく、鋼のような、折れない、やり切る精神を持った人に与えられる称号だと、僕は解釈している。高島さんが持つ鋼のようなメンタルを、間近で見せてもらいました」

レースから二日後の早朝、アラパとM.I.T.による“アイアンマンチャレンジチーム”はメルボルンをあとにする。空港へ向かう車中で、高島は落涙した。胸のなかにしまい込んでいた思いが、突如として溢れ出てきた。
「どうして泣けたのか、いまでも理由は分からないんですけどね」と高島は笑う。ひとつだけはっきりしているのは、「アイアンマンになる」という目標はゴールではなく、新たな目標のはじまりであるということだった。
「たった一度完走したぐらいで大きな顔はできませんし、自分より年齢が上で自分より速いタイムの人もたくさんいる。いつか彼らのようになりたいと思いますし、アイアンマンとして生きることを、これからの自分のテーマにしていきたいと思っています」
次なるアイアンマンチャレンジは、来年7月にフランクフルトで開催されるレースに決定した。かつて出張で訪れた際にレースの存在を知り、好印象を得たという。すでにコースを把握しているあたりに、高島の熱意がうかがえる。
「ランが10キロの周回コースなので、チームのメンバー同士で声をかけあえる。みんなで一緒に頑張るのも、アイアンマンの良いところですから」
真摯な熱を放つ高島は、フィジカルとメンタルをマイペースで鍛え上げていく。今日よりも逞しい明日の自分を、心に思い描きながら。

Profile

高島郁夫
たかしま・ふみお
株式会社バルス代表取締役社長

1956年福井県生まれ。1979年関西大学経済学部卒業後、マルイチセーリング株式会社に入社。90年に株式会社バルスを設立後、96年にMBOによって独立する。2002年ジャスダック市場に株式を上場、2005年東証二部に株式を上場。2006年東証一部に株式を指定替え。 2002年に香港、10年に中国、11年にシンガポールに法人をそれぞれ設立する。2012年、MBOにより非上場化。Francfrancをはじめとして、BALS TOKYO、J-PERIOD、La boutique Francfranc、WTWなどを展開。ファッショントレンドや感性からマーケティングを実施し、大型路面店の展開や海外展開の拡大などグローバルブランド化を推進している。趣味はトライアスロンとサーフィン。

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