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Vol.07
トライアスロンデビューは成長へのチャレンジ

ビーチリゾートとして知られるハワイ・ホノルルには、また違った顔がある。
毎年初春にトライアスロンの大会が開催されているのだ。
世界中からアスリートが集結する今大会は、リゾートトライアスロンの代名詞的な大会として認知されるに至っている。
日本から400名以上が参加した2011年度の大会にも、ファウスト会員の多くが出場した。
そのひとりが、髙瀬武英である。
2011年2月からトレーニングを開始し、5月にホノルルでトライアスロンへのデビューを飾った彼の軌跡を追う!

会社とともに“成長へチャレンジ“

振り返ってみれば、今回のトライアスロン挑戦はあらかじめ決まっていた人生のルートだったのではないか、と髙瀬は思う。あるいは、必然的な通過点とも言うことができるかもしれない。
「2011年の会社のスローガンが、『成長へのチャレンジ』なんです。自分を変えていくチャレンジをしようと社員に話しているんですが、そのためには社長である自分が率先して変わっていかなければと感じていたんですよ」
髙瀬が代表取締役社長兼CEOを務める株式会社ハイサイド・コーポレーションは、スキンケアブランドの「アンプルール」が高い評価を集めている。美容医療の「ウォブクリニック中目黒」も、多くのリピーターを獲得している。







会社の業績が年率150%以上の急成長を遂げているなかでも、髙瀬は現状維持ではなく現状打破へ突き進んでいる。さらに業績を伸ばすために会社がチャレンジをしているいまこそ、社長である自分が先頭に立たなければならない。それも、いままでやったことのない何かに挑戦することで、自らはもちろん社員のバージョンアップを促したいと考えた。

学生時代はスポーツが生活のほとんどを占めていた。ヨットは全日本代表として世界選手権に出場するほどで、極真空手にも情熱と時間を費やした。
ところが、外資系の金融大手に就職したことで生活は激変する。睡眠時間を限界まで削り取る生活が続き、体重が大幅に増えてしまったのだ。その後も文字どおり仕事ひと筋に疾走し、気がつけば40歳になっていた。
自分を変えたい、変えなければ、という願望が芽生えていた。抑えきれない衝動となって、髙瀬の身体を貫いていた。

「40歳からは、人生の次のステージを迎えるわけですよね。これは大きな理由のひとつでした。もうひとつは化粧品と美容医療を展開する企業の代表として、自分の身体を元に戻さなくてはという考えがずっとあった。2年ほど前に初めて本格的なダイエットをして、一カ月で10キロ落としたんだけれど、その後2か月ほど体調が芳しくなかったんです。体重はそのままキープできたけれど、40歳になってアンチエイジングというものを自分自身で意識するようになって。若さをキープするのは我々の仕事で、そのためにはまず僕自陣が若くならないと、企業としてのメッセージが伝わらないのではないか。健康的に運動をして痩せたいという思いはずっと抱いていたので、動き出すならいましかないぞ、と考えたんです」
そんなときだった。2010年の年末、ファウストA.G.から一通のメールが届いたのは。2011年5月のホノルルトライアスロン出場を目指さないか、という内容だった。

2月、ランからトレーニングスタート

「2010年の12月ぐらいから走り初めてはいたんですが、そのときはまだ、ホノルルトライアスロンに出るとは決めていなかった。既に多くの友人がトライアスロンをやっていて何回も誘われてはいましたが、自分は無理だと思い込んでいた。だからランについてはまず痩せることが第一義で、基礎代謝をあげることが目的。そのうちにファウストからメールをもらって。トライアスロンをやっている知人もいますから、一緒にどうと誘われて。運動をするなら目標を持ちたいですから、じゃあ、まずは軽い気持ちで練習に参加してみようかと」
そして2月、最初に取り組んだのはランだった。「就職してからは2、3キロ以上は走ったことがない」という髙瀬にとって、オリンピックディスタンス※の10キロという距離は未知の領域である。ファウストA.G.のトレーニングに参加しながら、数多くの文献にあたった。
「僕はマニアックというか、ツールおたくというか、方法論や仕組みから入る。センスではやらないタイプなんですよ。10キロという距離を効率的に走る方法があるはずで、そのためにランニングの本とか雑誌をかなり読み込みました。自分より走れる人にも、色々と教えてもらって。この年齢になると感覚的にはできないし」
読んで、聞いて、試す。もう一度読み、聞き、再びトライする。単純でも大切な作業を黙々と繰り返していくうちに、走破できる距離は確実に伸びていった。自宅近くの駒沢公園を、オフィス街の明かりが映える夜の皇居を走りながら、10キロという距離を身体に染み込ませていった。

3月、バイクをスタート

次に向き合ったのはバイクだ。ファウストA.G.のトレーニングに参加したことが、ここでも多いに役立った。
「そもそもロードバイクに乗ったことがなかったので。3月に最初はバイクをレンタルして、20キロや30キロを走ることから。これは、でも、意外といけるなあと。太ってはいるけど(笑)、筋力、脚力はあるので、楽しみながらトレーニングできましたね」
オリンピックディスタンスで走る40キロという距離にも、早い段階から手応えをつかむことができた。そのうえで、実際のレースを想定したトレーニングも積んでいった。
40キロの距離を全力で漕ぎ続けた筋肉は、気づかないうちに凝り固まっている。「身体がバキバキに硬直する」という感覚を、髙瀬も味わっていた。
対策は基本的にひとつしかない。とにかく慣れることである。挑戦チームの定期練習会では、実際のレースと同じようにバイクからランヘつなぎながらのトレーニングも積んでいった。

レース2週間前に
“間に合った”、スイム

最後はスイムである。トライアスロンのレースに出場するにあたって、もっとも大きなハードルだった。
「それまで数100メートルしか泳いだことがないから、いきなり1.55キロはどうかなと。ここでも本を読んで、専属のコーチもつけました。それでもなかなか泳げるようにならないので、最後の一カ月は毎日プールへ通いました。それで、レースの2週間ぐらいまえに、やっと1.5キロ泳げるようになったんです」
スイムを集中的にトレーニングしながら、出社前や仕事後にスポーツクラブで走り込んだ。バイクからも遠ざかってはいない。「基本的にはスイムに集中していた」環境のなかでも、トレーニングを重ねることですべての競技に対する不安を洗い流し、自信と手応えを磨き上げていった。
「練習会に参加するようになった頃は、『できるかな』という感じでした。『できないだろう』って気持ちもあったかもしれない。完走できないなら、レースには出場しないとも思っていたし。ずっと悩んでいたんだけど、水泳の1.5キロをクリアして、あ、これで行けるかもと初めて思ったんですよ」
エントリー締め切りの直前に、髙瀬は出場を決意した。
迷いは、吹っ切れていた。

5月15日、ホノルルトライアスロンへ!

ハワイ・オアフ島。常夏の日差しが街を包み始めた午前6時、アラモアナビーチに乾いたホイッスルが響いた。スタートラインの最前列から、参加者が弾かれたようにビーチへ飛び出していく。
スイムはコース取りが激しい。バトルに巻き込まれると、自分のペースを乱しかねない。接触も頻繁だ。顔面を蹴られることもある。様々なリスクを避けるために、髙瀬は後方からのスタートを選んだ。
「ところが、同じようにゆっくりスタートする人もいて。巻き込まれるような感じではなかったんだけど、明らかに自分のペースじゃなかった」
ホノルル入りした当日から、スイムは練習してきた。入り江のコースは波がなく、海面はとても穏やかだ。環境は申し分ない。
ところが、髙瀬の身体を違和感が走り抜けていくのである。それも、猛烈なスピードで。
「200メートルか、300メートルを過ぎたあたりから、コース取りが曲がったり、他の選手にぶつかったり。精神的にテンパってきて、呼吸が苦しくなった。海中にも潜れない。クロールをやめて平泳ぎに変えても、やっぱり苦しい」
もがいて、あがいて、それでも何とかしてトレーニングを思い出す。記憶に止めておいたいくつかのアドバイスのなかから、「どうしても苦しいようだったら、仰向けになって浮かんで休む」という項目に光が当たる。
「それでもやっぱり、不安なんですよ。取り残されてしまうと思って。それでまた焦って、心拍数が上がって泳げなくなる」
トライアスロンはメンタルスポーツだよ──友人たちのアドバイスが、にわかに重みを増してくる。焦るな、慌てるな、落ち着け。髙瀬は自らに問いかけた。心拍数が徐々に下がっていくことを実感できる。身体と心のバランスが整い、戦闘態勢にリセットされていく。

「だんだんと自分の周りに人が少なくなっていって、それで割り切ったというかね。平泳ぎで潜っていくことに切り替えて、7割ぐらいは平泳ぎでしたが(笑)」
イーブンペースを心がけると、無駄な力が抜けていった。ストロークが力強くなり、ときおりのクロールも、練習どおりのフォームで水をかけるようになった。遠かったゴールが、近づいてきた。
「順位的にはボトム10パーセントに入ってしまうぐらいだったでしょう。でも、バイクで巻き返せばいいんだと割り切って考えました」
スイム、42分54秒のタイムは、髙瀬の属する40歳から44歳のカテゴリーで下から6番目の成績だった。だからといって、絶望感や屈辱に襲われていたわけではない。髙瀬を駆り立てているのは、前向きな思考回路である。

「スイムの遅れをバイクで取り返す!」

「練習でもそれほど遅いほうではなかったので、バイクで巻き返すことについてはそれなりに裏付けがあったというか……最初から気合を入れて、そのなかでギアをこまめに変えて、回転数を一定以上に保つことを意識して」
ホノルル国際空港とワイキキを結ぶニミッツ・ハイウェイを、車ではなくバイクで疾走する。かつて味わったことのない解放感はメンタルに心地好い刺激を与え、モチベーションが高まっていく。
コースを攻略するための戦略も鮮やかだった。知人から受けたアドバイスを、髙瀬は冷静に実行していた。
「レース前日に〈自分にとってのペースメーカーを見つけて、その人についていけばいい〉と言われていたんですね。そのとおりにやって、抜かれたことは一回もなかった」



ヨットマンだった髙瀬は、スピード狂を自負する。速さへの恐怖感はそもそもない。
「高速道路を封鎖して、一本道をドーンと走っていく。バイクの気持ち良さは格別でしたよ。すごく楽しかったし、けっこう順位をあげることもできましたね」
83人がフィニッシュしたエイジグループ別で、髙瀬の1分17秒09秒というタイムは50位代前半にランクされる。巻き返しは成功した。しかし、二度目のトランジッションエリアに飛び込んできた髙瀬を、予期せぬ事態が襲う。

デビュー戦完走への、最後のラン

「練習で理解していたことなんですが、やはり身体が硬直していたんですよね。トランジッションエリアでは自転車から降りて、慣れている人は片手で持って走るじゃないですか。それが僕にはできなかった」
身体がほぐれないままコースインしたランでは、序盤に順位を下げてしまう。
それでも、バイクと同じようにペースメーカーを定めることで、練習どおりの走りを取り戻していく。
「ただ、トレーニングの終盤は泳ぎに集中していたので、10キロという距離を1か月ぐらい走っていなかったんですね。それは少し、気がかりでした」



歩いてしまうおうか、と思った。一度ではない。何度となく。
そのたびに、自らを奮い立たせた。目標だった3時間はクリアできそうにないが、できるだけ速いタイムでフィニッシュしたい。アスリートとしての本能が覚醒する。髙瀬は決して立ち止まらなかった。
「最後の400メートルぐらいはダッシュでした。これはもう、最初から決めていたことで。トライアスロンはそれなりに準備をしないとできないもので、3、4か月の準備の結集としてのフィニッシュだから、達成感はもちろんあります。それと同時に、次はもっといいタイムを出そう、次は30分以上は短縮させたい、とすぐに思いました。次はもっと、効率良くできるはずだって」

ビジネス面、ライフスタイル面ともに世界が広がった

3時間12分43秒というフィニッシュタイムは、爽やかな充足感を運んできた。「思っていたよりいいタイムが出たかな」という気持ちは持続力のあるものだが、違った感情も芽生えている。
「トライアスロンというものがどれぐらいキツいのかが分からなかったので、タイムはあまり考えていなかったです。バイクは1時間20分ぐらい、ランは1時間ぐらいという大まかな計算はしていたけれど、スイムがどれぐらいかかるのか見当がつかなかったので。終わってみると、もうちょっと余力があったというか、完全に疲れ切ってフィニッシュしたわけではなかった。もう一度バイクをやれと言われても、問題なくできるぐらいだった」
しっかりとした理論武装を施し、結果をフィードバックしながら次へ進んでいく髙瀬。初めてのトライアスロンで得た様々な情報は、自らの可能性を拡げるサインのようなものだ。次は、次は、次は、という意欲が溢れ出てくる。
「トランジッションに時間がかかりすぎました。合計で10分以上。海水でベタベタのままバイクを漕ぐのがイヤで、ポリタンクで水を浴びたりして。周りを見たら、そんなことをしているのは僕だけだった(笑)。スイムは練習とレースがまったくの別物だってことを体感できたし、スイムのあとのエネルギーチャージの重要性も分かった」
トライアスリートと呼ばれるようになったことで、髙瀬の内面には確かな変化が生じている。「自己暗示にかかっているところがあって」と、笑顔で切り出す。
「トライアスロンだけじゃなくて、ロードバイク、マラソン、スイムと、単一の大会に出ることもできるでしょう? バイクのレースに出たいなあと考えて、それが180キロを走破するものでも、完走を目指すのであればなんとかできるんじゃないかと思える。これまでスポーツと言えばゴルフとかヨットだったけど、自分の身体を使ったアスリート的な競技に対して、かなり前向きになりましたね」
ビジネスへの波及効果も生まれている。
「女子が参加しているトライアスロンの大会を、スポンサードしようといった発想もあります。我々のようなスキンケアブランドからすると、非常にいい広告媒体になる。新しい世界が出てきて、仕事との相乗効果は高いですね」
トライアスロンを始める前は98キロだった体重は、88キロまで絞り込まれた。さらに6キロほど落として大学生当時の体型を取り戻し、11月のロタ島でのトライアロンに出場するのがいまのモチベーションである。
「家族も親類も仲間も、以前の僕を知っている人は誰もが口を揃えるんですよ。トライアスロンに出たの? 凄いね、痩せたねって。周りの反応が嬉しくて、面白くて(笑)。一度レースに出場したからといって、極端に自分が変わったわけじゃない。でも、体力があるという前提で物事を考えられるので、それは自信になりますね。たくさんの不安はあったけれど、僕はトライアスロンを完走することができた。ウチの会社の社員も、『自分にもできる。チャレンジしよう』という気持ちを持ってくれたら」
それから、と髙瀬は言葉をつなぐ。口調は穏やかでも、瞳には強い意思が宿っていた。
「いつの日かは僕も、アイアンマンに出てみたいなって思うんですよ」

トライアスロンの距離について

※オリンピック・ディスタンス…スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの合計51.5キロ(オリンピック種目採用距離)
アイアンマン70.3…スイム1.9キロ、バイク90キロ、ラン21.1キロの合計113キロ(70.3マイル)
アイアンマン…スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.2キロの合計226キロ
※このほかさまざまな距離がある。

Data

高瀬氏のデビューにあたっては、稲本健一氏はじめ、トライアスロンチームM.I.T.に多大なご協力をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。

ホノルルトライアスロン2011
日時:2011年5月15日(日)
主会場:アメリカ・ハワイ州オアフ島のアラモアナビーチパーク
主催:アスロニア
http://honolulutriathlon.jp/

Profile

高瀬武英(たかせたけひで)

株式会社ハイサイド・コーポレーション代表取締役(http://www.hsco.co.jp/)。医療法人社団愛心高会最高顧問(http://www.wove.jp/)。1970年3月21日生まれ。福岡県出身。早稲田大学及び早稲田大学大学院を卒業後、世界最大の投資銀行メリルリンチ証券に新卒入社。1年目をニューヨーク本社で過ごしたのち、財務アドバイザリーやM&Aを行う投信銀行部門に配属され、以降8年間M&Aを専門に行うインベストメントバンカーになる。2003年独立し、株式会社ハイサイド・コーポレーションを創業。ドクターズコスメブランド「アンプルール(http://www.ampleur.jp/)」を立ち上げ、以降ベストコスメを連続して獲得するなど話題の化粧品ブランドに育てる。2007年医療法人愛心高会を設立し最高顧問に就任。美容と医療の分野で様々な革新的商品・サービスを開発・展開し、アンプルールをNo1ドクターズコスメにすべく日々努力している。

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