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人類最後の聖域を走れ!
厳寒の南極マラソン

赤坂が挑戦している「4 deserts」は、サハラ砂漠、ゴビ砂漠、アタカマ砂漠という3つの砂漠、そして南極大陸を走る究極のエクストリーム・マラソン。それぞれ250kmにわたる過酷なレースが展開され、その様子は前回のゴビ・マラソンの記事でも紹介した。
最後の大会開催地である南極への切符は、3つの砂漠のうち2つを完走した者だけが手にすることができる。アタカマとゴビを制した赤坂にも、昨年8月頃に招待状が届いた。
11月、念願の南極マラソン(ラストデザート)に挑んだ赤坂を待っていたのは、想像を絶する寒さとの戦いと、信じて進んできた道への確かな手応えだった。

11月14-17日 

南極の玄関口、ウシュワイア

80人近い支援者が集まった、出発前日の壮行会。その余韻も醒めやらぬうちに、赤坂は慌ただしくニューヨーク行きの飛行機に乗り込んだ。ニューヨークからブエノスアイレス、さらに国内線へと乗り換えて、集合場所のウシュワイアへ。南米大陸の南端に位置し、「南極の玄関口」といわれる小さな街である。
バックパッカーとして世界中を旅した赤坂にとって、長い長いフライトも慣れたものだ。だが今回の旅は、これまでと大きく違う点がひとつだけあった。4月に挙式をあげたばかりの新妻、友紀さんが一緒なのだ。仕事とレースの両立で多忙を極めたこの1年、新婚旅行すらまともに行けなかった。行く先に待つ未知の大陸を、妻とともに体験することができる。それが赤坂には何より嬉しかった。





ウシュワイアに着いたのは集合の2日前。妻とふたり、しばし観光を楽しむ時間もとることができた。南半球の11月だから夏ではあるのだが、吐く息は白く、ダウンジャケットを着なけばならないほど寒い。眼前には湖のように澄んだ海が広がり、背後には雪を被った山々。港にヨットが停泊している様子などは、まるでスイスのリゾート地のようでもある。それでもやはり、ペンギンやアザラシを見にゆくツアーの看板が、街のあちこちで目に飛び込んでくる。いま立っているのは、南極大陸の目と鼻の先なのだ。

上陸許可証を巡る騒動

ウシュワイアの街を満喫しつつも、赤坂にはひとつ不安があった。南極に上陸するには、南極地域の環境保護に関する法律に基づき、環境省へ手続きが必要なのだが、実はまだ友紀さんの分の許可が下りていない。急に同行できることになったため、申請が間に合わなかったのだ。このままだと、友紀さんは南極までは行けるものの、船の上に残らなくてはならない。出発前に環境省とやりとりし、南極マラソン主催団体が所属する国から発行された許可証による「届出」にて、取得を試みることになっていた。今も日本では、自宅のある埼玉県庁の職員や、友紀さんの姉が環境省との手続きに尽力してくれている。「恐らく大丈夫」と言われてはいたが、やはり実際に許可が下りるまで不安は消えない。

南極への出発当日。選手たちがホテルに集まると、口頭でのメディカルチェックと簡単なブリーフィングが行われ、すぐに荷物を担いで移動。選手57名、友紀さんのようなゲストが8名、大会スタッフが20名弱。総勢80名ほどが小型客船に乗り込み、いよいよ南極大陸への最後の旅路につく。客室は2人1部屋で、ホットシャワーもついた快適な空間だ。およそ3日間1000km。最初にキング・ジョージ島に上陸し、次にデセプション島、最後にドリアン・ベイへと向かう予定だ。

Screaming Sixtiesを越えて

海洋冒険小説が好きな方はご存知かもしれないが、南米大陸最南端のホーン岬と南極大陸の間には、「Screaming Sixties(絶叫する60度)」として悪名高いドレーク海峡がある。つまり、世界で最も荒れる海なのである。昼夜を問わず強烈な波風にさらされるため、転覆とまではいかずとも、まず間違いなく船酔いに陥る。当然、赤坂もこの洗礼を受けた。食事のとき以外は部屋に籠り、酔い止め薬を飲んで、ひたすら寝て過ごすことになった。

辛い3日間がようやく終わる頃、赤坂に吉報が届いた。南極大陸に近づくと、各国の基地があるためか携帯電話が通じるようになる。友紀さんの姉からのメールで、上陸許可が無事に下りたことを船上で知らされたのだ。赤坂も友紀さんも、ホッと胸を撫で下ろした。

南極に到着する朝、目を覚ました赤坂が丸窓から外を覗くと、そこに見たことのない雪の島が現れていた。テレビで見るような巨大氷河ではなかったが、島全体が白く覆われた偉容を目の当たりにして、赤坂は子どものように興奮した。いよいよだな……。

11月19日 南極初日

いざ南極の大地へ

レースのスタートは朝6時。それから21時まで、15時間に及ぶ耐久レースが予定されていた。前日のブリーフィングによれば、朝4時には朝食が用意され、5時にゴムボートで移動するという。ところが、いざその時間になると「悪天候のためスタートを見合わせる」とのアナウンスが。「9時まで様子を見る」と言っていたのが、結局は昼過ぎまで待たされることになった。
13時近くなり、ようやく8人乗りのボートに分乗して上陸。選手たちにとっては、「やっと揺れから解放された」というのが正直な感想だったろう。同時に赤坂は、友紀さんとともに上陸できる喜びを、あらためて噛み締めていた。

この日走るのは、全長14キロの往復コース。同じ道を行ったり来たりして、時間内にどれだけ走ったかで順位を決める。途中の休憩ポイントで水が支給され、そこには15分以上留まってはいけないのがルール。食事をする際は温水も出るが、これも45分以上留まってはいけない。またコースの途中には、アザラシやペンギンの棲息するエリアがあり、その1〜2キロの区間は徒歩が義務づけられている。

待たされた甲斐があって、空は気持ちよく晴れていた。ただし冷たい風が強く吹いているため、赤坂は目出し帽をかぶってスタートラインに立った。目標としてきた南極大陸は、いま足元にある。そんな感慨に浸るのも束の間、選手たちが一斉に走り出した。

未知のアクシデント

スタート地点こそ砂利も見えていたが、コースの大半は膝までの積雪である。気温が上昇しているため、この雪が溶けて重い。ほとんどの選手が途中からスノースパイクをシューズに取り付け、一歩一歩しっかりと歩を進める。スノースパイクは氷や雪の上を走りやすい反面、しっかり脚を上げないと引っ掛かってしまう。赤坂も何度かつんのめり、下り坂では思いきり転んだりもした。また、金属製で重いため、予想以上の疲労が脚に蓄積される。3日間も船に揺られ続け、寝て食べるだけの生活をした後だ。赤坂は自分なりに歩く区間を決め、「初日は軽いジョグ」と気持ちを切り替えた。

 

The Last Desert (Antarctica) 2010 - Stage 1 Highlights

ついに南極マラソンがスタート!

 

それでもやはり、寒冷地ならではの問題には終始悩まされた。寒さと冷たさである。下り斜面などで、溶けた雪が滝のように流れてくることがあった。また、表面に薄く氷が張り、落とし穴のようになった水流に足を取られることもある。そうした地点では靴下まで濡らしてしまい、走り続けるうちに堪え難いほど冷たくなってきた。手袋も同様だ。足と手の指先が、次第に感覚を失っていった。「初めて走る南極という場所で、思いがけないアクシデントに対応しなきゃならなかったのが1日目ですね」と、赤坂は苦笑まじりに振り返る。さらに言えば、すっかりお馴染みの足のマメとの格闘も、相変わらず繰り返された。

この日は結局、悪天候のため予定より2時間早い19時でレース終了となった。今回の南極マラソンは、過去2回の砂漠マラソンとはだいぶ勝手が違う。船に揺られ続けたのもそうだし、スタート時間が一定しないのもそう。だが、最も喜ばしい違いはといえば、レース終了後に船に戻れば、快適な部屋とホットシャワーが待っていることだろう。7日間、着の身着のままとなる砂漠に比べたら、まるで天国のよう。しかしそうでもしないと、寒すぎて危険な場所であるのも事実なのだ。

一方、朝と夜はきちんとした食事が準備されるのだが、これはかえって選手たちの悩みの種となった。時間が決められているため、自分のペースが作れない。翌朝3時には起きなければならないのに、寝るのが23時頃になってしまうのだ。食事と睡眠のコントロールができないのは、いつものレースとは勝手の違う苦しさだった。

11月20日 南極2日目

ご機嫌ななめの南極の空

2日目。この日も同じ場所を走り、朝6時から21時までのレースが予定されていた。しかし、やはり天候のせいで、スタートは9時頃にずれこんだ。赤坂がペースに乗りはじめた矢先、スタッフが何やら叫びながら船から走ってきた。「嵐がくるから大会中止!」。選手たちは全員スタート地点に戻り、ボートで船に戻ることになった。

船に戻ると、欧米の選手などは早速ワインを空けている。15時頃になり、スタッフから「みんな行くぞ!」という声がかかると、彼らも顔を青くしながら慌てて準備した。だが結局、この日はそのまま中止に。赤坂は、不足気味な睡眠時間を補ったり、マッサージをしたり、靴下を洗ったりして過ごすことになった。外は走れないほどの嵐ではなかったが、船との移動にゴムボートを使っているため、陸にとり残される危険が考慮されたようだ。

11月21日 南極3日目

楽しまなければ意味がない

3日目。夜のうちに船が移動して、ペンギンの繁殖地として知られるデセプション島を走る。この島には活火山があり、海の一部が低温泉になっているため、水着で寝転がって入浴することもできる。ウシュワイア発のツアーコースとして人気が高い場所だ。
この日のコースは湾状になったエリアを走り、小高い山を登って下りる全長4キロほどの短い設定。今大会で初めて、予定通り朝6時のスタートとなった。

 

The Last Desert (Antarctica) 2010 - Stage 3 Highlights

南極に温泉!?海辺で神秘の温浴

 

走りはじめた頃に降っていた雪は次第にやみ、日中は気温も上がった。赤坂はスパッツ1枚になり、1日目に味わった寒さをしばし忘れることができた。といっても、やはり指先の冷たさは相変わらずだし、何といってもコースが単調で辛い。「まるでトレーニングをしているようでした」と赤坂はいう。

しかし、何度も砂漠を走ってきた彼にとって、そういう時の対処法は心得たもの。
「楽しいようにモチベーションを維持するんですね。ここが夢だった南極なんだと、意図的に強く思うんです。やっと辿り着いた場所ですからね」
選手たちは皆、かなりの時間と金をかけて南極にやってくる。どんなに辛くても、やはり楽しまなければ意味がない。
「みんな本当に楽しそうに走っているんです。雪の日に子どもたちが駆け回ってるような感じでしたね」
途中、ペンギンが海から上がってくる様子や、遠くにアザラシの群れも見えた。些細なことに楽しみを見出しながら、赤坂はなんとか走りきった。予定では21時までだったが、風が強くなってきたので19時で終了。それでも13時間走ったことになる。

初めての大会を走るにあたって、実は赤坂はいくつかのミスをしていた。足の冷たさに対処できなかったことがひとつ。致命的だったのは、持っていく食事の量を間違えたことだ。長時間のレースだから2、3食は持っていくべきだったが、1食分しか持っていなかったのだ。そのため途中でエネルギーが切れ、体が冷えきってしまった。ランナーに欠かせない水も冷たすぎ、水分補給すらままならない。悪いことに、この日は夕方から風速20mの風が吹きはじめ、横殴りの雪になった。ダウンジャケットを着ていたものの、体が冷えて動かない。レース後半は、ひたすら我慢を強いられることになった。

11月22日 南極4日目

WINNING RUN

4日目。再び船で移動し、次なる上陸地であるドリアン・ベイへ。今回の旅で最も南極点に近い場所だ。深く積もった雪棚が広がり、所々に砂利が覗いていた3日目までとはまったく様相が異なる。それはすなわち、ヒドゥン・クレパスの危険があるということを意味する。一見それと気づかないまま、上に乗った者を奈落へと落とす天然の罠。熟練した南極基地の隊員ですら、命を落とすことがある。この日は全長3キロの周回コースとなっていたが、選手たちは「走っている場所より横に1メートル以上逸れるな」という厳しい指示を受けた。



レースがスタートしたのは昼過ぎ。これまで同様、朝6時からの予定が遅れた。しかし、その理由は天候ではなかった。船の近くにシャチの群れが現れたのだ。これほどの至近距離でシャチを見る機会は珍しいということで、全員で観察することになった。シャチがペンギンを追いかけ回す。ペンギンが必死に逃げるのを、口先で突っついて上に放り上げる。遊んでいるのだ。人間の目から見れば残酷なようだが、これも南極の自然の一部。赤坂も目を丸くして眺め、一部始終を写真に収めた。

船で自前の昼食をとった後、上陸してレース開始となった。選手たちの間では、「トップの選手がトータル250キロ走った時点で大会は終了」と噂されていた。それが事実だとすると、これまでの走破距離を考えれば、この日が最終日となる計算だ。事実、上陸前にそうアナウンスされた。ヒドゥン・クレパスのことが脳裏をかすめつつも、赤坂は「楽しもう」と心に決めていた。
雪は思ったより深く、膝の上ほどもあった。まともに走れる状況ではない。中にはカンジキをつけている選手もいて、周囲の笑いを誘っていた。幸い赤坂は後方からのスタートだったので、前の選手が通った後を進むことができた。それでも何周かは歩くよりなく、しばらくしてようやく道のようなものができあがった。

ドリアン・ベイの景色は素晴らしかった。ダイナミックな地形、ペンギンたちのコロニー……。赤坂の思い描いていた南極だ。それほど辛さを感じることもなく、21時まで気持ち良く走ることができた。
周回コースなので、これが最後の1周だというのは赤坂にもわかった。こんなに凄いところを走れて幸せだな。ここまで頑張ってきたんだな。これで終わっちゃうんだな。そんなことを思い、足をとめて、ペンギンのコロニーを眺めながら、これまでのことを思い返した。応援してくれるたくさんの人への感謝の思いで、赤坂の胸はいっぱいになってゆく。そして意を決して再び足を踏み出した。最後のウイニング・ラン。首に完走のメダルをかけてもらい、選手たちの声援を浴びながら、赤坂はゴールに辿り着いた。

「南極マラソンはオマケのレースだ、と言う人もいます。僕も本当に2週間もかけてこんなところまできて、仕事との両立で苦労して、お金もいっぱい使って、何でこんな雪の中を走ってるんだろう……なんてことも考えましたけどね(笑)。でもやっぱり“楽しいから走ってるんだ”ということ。純粋に楽しかったです。もっと辛くてもいいから、もっと走り続けたかった」

The Last Desert (Antarctica) 2010 - Stage 4 highlights

南極マラソン、フィニッシュ!

 

船がウシュワイアに戻った日の夜、全員参加のパーティが行われた。友紀さんがビデオを回し、選手たちに「なぜ走るのか、どうして南極に来たのか」と訊いた。赤坂が驚いたのは、ボランティアのために走っている選手がかなり多かったこと。走ることでチャリティを集め、孤児院や難病治療のための団体などに寄付するという。だが、全員に共通していたのは「楽しいから走ってるんだ」という答え。皆、思いは同じなのだ。

赤坂にとっての南極マラソンは、確かにひとつの区切り、集大成であった。しかし同時に、新たな始まりにもなった。これまでの道のりで得た経験や感じたことを、少しでも多くの人に伝えたい。そう強く思うようになった。地球環境の問題、人生を楽しむ働き方のこと、何かに挑戦することの大切さ……。赤坂が伝えたいことは山ほどある。

  • ◎「人類最後の聖域を走れ! 厳寒の南極マラソン」ファウストのインタビューはコチラ!体験者インタビュー~メフィストの部屋へ~

Data

The Last Desert 2010
2002年に設立された団体「レーシングザプラネット」が、2003年から主催するエクストリーム・レース。2006年には、アタカマ砂漠(チリ)、ゴビ砂漠(中国)、サハラ砂漠(エジプト)、そして南極大陸を加えた4つの砂漠を走る「4 deserts」として定着した。各大会、計約250kmに及ぶ6つのステージを、7日間にわたって走破。「The Last Desert」は、3つの砂漠マラソンのうち2つを完走した選手が招待され、極寒の南極大陸を走り抜ける。次回は2012年は11月に開催予定。

主催:レーシングザプラネット
http://www.racingtheplanet.com/

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