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Vol.07
イブ・ロッシー、富士山飛行!
「聖なる土地に、敬意を表して」

我らが“ジェットマン”イブ・ロッシーが遂に日本でのフライトを実現!! 世界文化遺産登録を祝い、日本スイス国交150周年公式イベントの一環として、冠雪の富士を舞台にジェットウィング飛行に成功、その雄大な富士とイブの勇姿は世界に伝えられた。 ファウストA.G.にとっても長年待ち望んだ富士山フライト。その挑戦について11日間に及んだ飛行を終えた直後にインタビュー。ますます精神的な境地へと向かうイブの冒険とは──?

子どもの頃の「憧れ」から始まった冒険は、それを実現し経験を重ねることで、その冒険者を、いつしか遥か遠いところまで運んで行く。それはワクワクドキドキするようなことを求めた若者が、いつしか思慮深く謙虚な成人となり、やがて“大いなる存在”に近付きその境地に至るという、よき人間の一生に辿る道程に似ている。ただこの冒険者たちは、驚くほどの短期間でこの道程を私たちに提示してみせる。そして、それこそ私たちが冒険者に魅了される理由ではないか。

イブ・ロッシー。ドーバー海峡横断飛行でファウストA.G.アワード大賞を受賞した初来日から実に4年。謙虚でユーモアたっぷりの「我らがジェットマン」は、その飛行の様子を記者会見で「母なる大自然に対峙する、小さな蚊のような存在」と語った。4年の間に彼の冒険はどのように変化したのか。まずは、記念すべき富士でのフライト映像をご覧頂きたい。

すべてはそこから始まった

富士山飛行成功おめでとうございます。初来日の2009年のことを覚えていますか? 

──もちろんですよ! ファウスト・アドベンチャラーズ・ギルドの賞を受賞するため初めて日本に来て、スタッフの皆さんに「いつ日本に戻ってきますか? 富士山の上を飛んでみてはいかがですか?」と聞かれましたね。それから、いかに富士山が日本にとって精神的なシンボルであるかという話もしました。そう、まさにあの時、すべてが始まったのです。

我々の
過去のインタビューでも、随分前から日本での計画について話してくれていたので、ずっと楽しみにしていました。4年の間にウィングも随分改良されたようですね

──おお、それはもう。沢山改良されてますよ(笑)。では、この“ミニ・ミー”(模型)で説明しましょう。まず、翼のシェイプが全然違います。もう折りたたみ式ではありませんし、翼幅も短くなっています。ウィングレットは大きくなり、センター部分が大きいデルタフォームになって、安定性が高くなりました。パラシュートもより安全になり、30ℓのケロシン燃料タンクやスモークなどの機器類はすべて翼に内蔵搭載されました。

ウィングは現在幅2m、燃料及びスモークを含めた重量55kgのカーボンファイバー製。下面には推力各22kgの小型ジェットエンジン4基を搭載し、15〜30ℓのジェット燃料で時速180〜300km(平均時速200km)で、約10分間飛行。富士山での最高高度は地上(ふもとっぱら)から3,657m、最低高度地上から800m。

実際のフライトはいかがでしたか?

──本当に魔法のようでした! 最初は写真で見ていただけの富士山が、今眼の前にある。そこを自由に飛んでいる。しなければならないことも沢山あったけど、最終的にはいいチーム、ヘリ、すべてが揃って……今ここにいる! ついに夢が叶ったんですから最高ですよ。自分の足で富士山に登ったのも印象的でした。登山では途中から雲が出て、凄く風が強くなってしまいましたが、頂上に登ったときは360度完全にクリアな視界でした。素晴らしかった。なんという大きさ! 壮大な、強烈な、なんという存在感! 

©Tokunaga/Breitling SA

自然を敬い、共に飛ぶ



©Tokunaga/Breitling SA

富士山を体感していかがでしたか。

──全くそれは魔法のような時間でした。私にとっては自らの足で歩いて、その地にリスペクトを表すことが重要です。私のフライトは翼を背負い、機械を使ってそこに行って飛ぶ。だからこそ、母なる自然を前に、敬意を表したい。この冒険をすればするほど、このアプローチは大事に思えるようになりました。

私は世界中でフライトをする際、それを「美しい」ものにしたいと思っています。でも一方でこれは自然なことではないとも思う。だからこそ、その自然の一部になれたという感覚があると、ずっといい感じに飛べるんです。自分の体で登ることで、「やあ」と挨拶をしてその場所に対する許可を与えてもらい、「私と富士山はもう知り合うことができた」と側に感じる。そこからは富士山と共に飛ぶ。たぶんそれは…単に登るという事実よりも、ずっと霊的で神秘的なことなんです。

以前(2009年)も、「もし失礼に当たらなければ、富士を飛んでみたい」という言い方をされていましたね。日本人が霊峰とする山に対して敬意を払うイブさんに、私たちは敬愛の念を覚えました。

──富士山でもそうですし、グランドキャニオンでも同じことを感じていました。それらの自然はとても強く、神聖で、尊敬の念がなければ、とても向き合うことができません。渓谷の下に降りてみると、自分はとても小さな存在で、その静寂が「ここに何かいるよ」と知らせてくれる。
それは大自然に限った話ではなく、都会のリオのキリスト像のところでもその神聖な感覚がありました。どんな宗教であってもそのシンボルの前にいると、美と善意を感じる。宗教は決して争いや悪いことを人々に望んではいないと感じるし、そこで鳥のように飛べる自分は、なんという特権を与えられているかと思う。それは完璧な瞬間です。

そして、魔法の時間

フライトについてですが、高度はどのくらいでしたか?

──標高2800m〜1600mを飛んでいました。高くなるほど空気が薄くなるので、コントロールは効かず、パフォーマンスが低くなります。自由に動く為にはできるだけ高度が低いほうがいいんです。ベースにした富士の「ふもっとっぱら」は標高800mですから、私のミニマム飛行高度は地上から800mくらいということになりますね。

実際どのように操作しているのでしょう

──最初はストラップでヘリに固定されています。標高1700m〜1800m地点で、アシスタントのアンドレ・ベルネの助けでエンジンを点火。チューニングし、エンジンはアイドリングしたまま標高3000mくらいまで上ります。そして、背中から飛び降りる──

最初は石のように、ただ落ちるだけです。ただ何もできず、リラックスして待つだけ。落ちる程スピードがついてくる。と、突然、空気を感じる瞬間がくる。スピードは早くなり、ますます空気抵抗を感じ、地面がどんどん近づいてきます。そして魔法の時間!——ある瞬間に背中から持ち上げられているような感覚になるんです。空気力学の原理で翼に揚力が出る瞬間です。その時、手元のスロットルでエンジンのパワーを上げて、体をほんの少し、バナナのように反らすんです。

この時点で地上から400〜500mくらい。体で空気抵抗を感じながら、腕をハンドルにして左右の向きを調節する。風が時速約200kmの早さで、僕の上を流れて行く──。そこから再び高度2000mまで上昇し、ヘリコプターで待ち受けているカメラマンに向かって飛んで行くんです。子どもがちょうど飛行機ごっこをして遊んでいるようにね。それはとてもピュアな感覚で、ファンタスティックな時間ですよ。

©Bernet/Breitling SA
©Bernet/Breitling SA
©Tokunaga/Breitling SA

以前は休職中にこの冒険を行っていると言っていましたが、今はプロフェッショナルの冒険家になったのですよね?

──イエス!! 3年間の休職を終えて、選択をしなければなりませんでした。エアラインに戻って旅客機の機長になるか、このまま冒険を続けるか、と。でも私はその3年の休職の間に、既に素晴らしい経験をしていました。まだまだやりたいこと、やるべき仕事があると感じたので、その気持ちに従って決断したということです。

すべてを注ぎ込んでこれを作ったのですものね。

──そう。航空会社のパイロットとして、大勢の人を載せて移動して、そしてどこかのバーで「ああ、明日は香港さ…」なんて言ってみるのもいいですが(笑)、創造するという視点から見れば、少々フラストレーションを抱えていました。これは私の人生で、最も報われた価値あるものです。アイデアから実物まで全部自分たちで作りあげた、僕の子どものようなもの。結局のところ、「人生に何を求めるか?」ということですね。それは、えてしてとても個人的なものです。

楽しみ、尊敬し、幸運を知る

©Tokunaga/Breitling SA


その個人的な追求が、今は世界中の人々に夢を与えていますね。

──そうありたいと思っています。私は『アンファン・パピヨン(※注)』という遺伝子病の子ども達のための基金の大使をしているのですが、彼らは生まれたその日から、ただ生きているだけで日々大変な闘いです。とても勇気がある人たちです。彼らと関わりと持つとこう思いますよ。「私たちは選択肢がある。もし選択肢があるなら、何かしよう」。

皆さんにも、そう思ってもらいたいんです。健康というだけでなんと幸運なことか。その幸運を生かさなくてはなりません。それが私の考え方です。人生を楽しんで、大切に想い、気づくこと。私にとっては鳥のように飛ぶことで、他の人たちをインスパイアできたらと思っていますが、それは他のやり方でもいい。絵を書くでもいい、音楽を演奏するでもいい、自分が心引かれるものに情熱を注ぐこと。あなたには選択肢があり、それを実行することは人生におけるミッションなんです。そしてそれは既にあなたの中にあるんです。

※注 遺伝子の変異で起こる難病EB病。少しの摩擦で皮膚が剥がれてしまう病気で、生涯に渡って続く。蝶の羽のように繊細な皮膚を持つ子どもという意味の「アンファン・パピヨン」の名で呼ばれる。
アンファン・パピヨン基金公式サイト
http://www.enfants-papillons.ch

情熱に従い、恐れず、不可能と思わないこと。冒険家にはいつも「思考のジャンプ力」とでも呼びたい力を感じます。これまで恐怖や困難をどのように乗り越えてきたのです?

──未知なるものに向かうとき、既存のやり方や前例、社会的規範などが立ちはだかるかもしれません。でも、これは単なるドアや赤信号みたいなものでしかありません。我々は自由な存在なんです。既存のルールを越えようとする思考がなければ、人類の進歩は止まってしまうでしょう?

よく「恐怖はないのか」と聞かれます。以前は、ドーバー海峡を渡る前には怖いと感じたこともありました。それまで沢山の失敗をしたので、飛ぶこと自体の恐怖というより、失敗したらどうしようという怖さでしょうね。両岸にそれぞれ300人の人やメディアが見守っている。いろんな緊張、不安、上手く行かないこと、私はずっとイライラしていました。前の晩、仲間の皆が私のところに来て、こう言ったんです。
『なぜ僕たちを一緒に乗せて行かないんだ?』って。
それまでは“自分”が飛ぶんだ、“自分”の挑戦だ、と考えていた。でも、その言葉をその晩受け止めて、皆を翼に乗せていると思いながら飛びました。不安と恐れは、消えていました。

また、人間に与えられた素晴らしい資質のひとつは「恐怖を忘れることができる」ということです。私たちはどんなに辛いことがあっても、心の奥にほんの少しの小さな情熱の炎が残っていれば、よい思い出を糧にして必ずまた立ち上がることができる。そうしてまた、新しい感動を作り出していくんです。

©Brokken/Breitling SA

人類が遥か古代から切望し、架空のヒーローのものでしかなかった翼を現実のものにした希代の冒険家。その過程にはどれだけの、失敗や恐怖、既成概念を乗り越えるという「内なる冒険」があったことだろう。そして冒険の果てに辿り着く、自然と世界への敬愛。そうしたイブの言葉と勇姿は、今日も世界の人々に驚きと勇気を与えている。
現在はヴァンサン・ルフェという後継者も育てているイブ。“ジェットマンチーム”としてのフライトや、公開フライトを日本でも見られる日を願いつつ、次なる挑戦の知らせを楽しみに待っていたい。

 

 

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Ives Rossy(イヴ・ロッシー)

冒険家“ジェットマン”


1959年8月27日スイス生まれ。13歳の時エアショウで見た戦闘機に憧れ、見習いとして工学技術を学び、20~28歳まで空軍にてミラージュⅢなどのパイロット。88年から民間に移籍、スイス航空、スイス・インターナショナルエアラインズにてエアバスA320などの機長を務めた。自ら開発したジェットウィングを背負い飛行する“ジェットマン”としての冒険のため3年間の休職を経て、2010年プロフェッショナルの冒険家に。2006年、ジェットウィングでの世界初飛行成功。08年9月、ドーバー海峡横断飛行に世界初成功。2009年「ファウストA.G.アワード」大賞及び冒険家賞W受賞。2010年6月ブライトリング・ウィングウォーカーズと共演、2011年5月グランドキャニオン上空飛行に成功。2012年5月リオのキリスト像にて飛行、同年ダグラスDC-3プロペラ旅客機や、ブライトリング・ジェットチームとの共演。2013年、航空祭にて米国初の公開飛行。同年10月末〜11月初旬、世界文化遺産登録を果たした富士山を前にアクロバット飛行を成功。現在世界各地での冒険に加え、ジェットマンスクールの開校、第2のジェットマン誕生などを準備中。

Data

Jet Man Yves Rossy公式ホームページ
http://www.jetman.com

ブライトリング・ジャパン公式ページ/イブ・ロッシー
http://www.breitling.co.jp/jetman_japan2013/
 

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