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INTERVIEW with FAUST MASTER
ファウストA.G.アワード受賞者インタビュー
それぞれが究める“鮮烈な瞬間”

当クラブから贈られたファウスト大賞、冒険家賞、挑戦者賞、社会貢献活動賞、特別賞。各賞受賞者に、授賞式直後にインタビュー。留まることを知らないさらなる夢を語ってもらった。

 

 

 

 

まずグランドキャニオン、再びジブラルタル、そして富士山!

Mephisto(以下M)ファウスト冒険家賞とファウスト大賞のダブル受賞、おめでとうございます。

ロッシーありがとうございます。これまで自分が試みてきた冒険が、ここ日本でこのように認識され、評価をいただいたことに、深い感動を覚えています。 本当に、本当に名誉なことだと感じています。

M自作のエンジンと翼で空を飛ぶという発想は、そもそもいつ頃からあたためてきたものなのでしょうか? 

ロッシー最初のきっかけは、13歳のときに体験したエアショーですね。アクロバット飛行の機体が、自分の頭上スレスレに迫ってくるのを見上げながら──安全面への配慮から、いまはもう観客の上を飛ばないようになったはずですが──沸き立つような興奮を味わいました。「うわわあああ」と、思わず声をあげていましたよ。空を飛べるパイロットは幸せだろうなあと、そのときに感じたのです。

Mそこから、「鳥のように空を飛びたい」という欲求が沸き上がってきたわけですか?

ロッシーまさにそのとおりです。受賞スピーチでも申し上げましたが、私の冒険は「鳥のように空を飛びたい」という動機が出発点になっています。それは、人類が古来より胸に抱き、チャレンジしてきたもので、私自身は15年前から取り組んできました。長年の夢を追求してきたことが評価されたことになるのでしょうが、まさかこのような賞をいただいて、日本までやってくるとは想像もしていませんでした(笑)。

M現在はスイス・インターナショナルエアラインズを休職中とうかがいました。

ロッシー3年間の休暇を取っています。と言っても、休暇中はサラリーはありませんよ。

 

M無給ということですか?

 

ロッシーそうです。ですから、スポンサーを探さないと。日本にいい方がいれば、ぜひ!

Mそこまでして冒険に取り組む理由は何なのでしょうか?

ロッシー仕事は好きなんです。仕事に対するモチベーションもあります。私にとってコクピットは、世界一素晴らしい職場です。でも、あくまでもオフィスなんですよね。パイロットの仕事は好きですが、空中を自分だけの力で飛ぶというのは、パイロットの仕事を越えた強いセンセーションを私に与えてくれるのです。

M昨年はジブラルタル海峡の横断に挑戦しましたが、残念な結果に終わってしまいました。

ロッシー確かに残念な結果でした。でも、私にとって重要なのはチャレンジをすることなんです。必ずしも成功することが一番の目的ではなくて、自分にとって大事なのは困難へ向かってチャレンジすることなんですよ。いつもいつも完璧にミッションを行なえるはずはなくて、ジブラルタルの失敗から学ぶことはありました。大切なのは同じ過ちを繰り返さないこと。来年もまたチャレンジます。今度は違う過ちを冒すかもしれないけれど(笑)。

M新たなプランはありますか?

ロッシーグランドキャニオンを飛ぶ計画があります。気流が不安定なのではと言われますが、朝早い時間帯なら大丈夫です。場所はもうチェック済みです。高度1000メートルですから、私にとっては大きな危険を伴うものではありません。安全ですし、景色も綺麗ですよ。高さがそれほどでもありませんから、実際に飛んでいるところを見てもらうことも可能でしょう。すべてが予定どおりに進めば、4月には実施できるはずです。

Mそのあとに、再びジブラルタル海峡へ挑むと。

ロッシーグランドキャニオンは個人的なプロジェクトなのですが、ジブラルタルは企業からやってみないかと言われたものでした。準備はしていますし、翼も用意していますが、資金を出してもらえるかどうかですね。日本の方にもスポンサーになっていただければ、富士山の周りをぐるりと飛んでみるなんてことも、将来的にはやってみたいですね。

M冒険心は尽きないですね。

ロッシー子どもの頃からエネルギーに溢れていて、いまでも身体を動かしていないとダメなタイプです。マグロと一緒? そうそう(笑)。でも、マグロだと日本の漁船につかまってしまうかもしれないなあ。それは冗談ですけれど、他の人が持っていない〈空を飛べる車〉を所有しているというのは、とても嬉しいことです。私自身は決してお金持ちではありませんが、自分のやりたいことをできている意味では、豊かな人生を送っていると思います。そしてもちろん、やりたいことはまだまだ尽きません!

 

Yves Rossy
1959年8月27日スイス生まれ。20~28歳まで、空軍にてハンター、タイガーF-5、ミラージュⅢなどのパイロット。88年からスイス・インターナショナルエアラインズにて、ボーイング747やDC-7の副操縦士、エアバスの機長を務め、現在は自ら開発したジェットウィングを背負い飛行する“ジェットマン”として冒険のため3年間の休職中。ウィングは幅約2.5m、ジェットエンジン4基を搭載し、最高時速300km、飛行時間は最長10分(積載燃料の都合。2008年当時)で、3000m上空を飛行可能。折り畳み式。2004年、ジェットウィングでの初飛行に世界初で成功。08年9月26日、ドーバー海峡横断飛行に世界初成功。フランス側から上空2500mまでプロペラ機で上昇、空中へダイブし、35kmの海峡を約10分で横断しパラシュートで着地した。この冒険はヨーロッパを始め世界から注目を集め、「ガーディアン」、「タイム」などの新聞の一面を飾る。09年11月、ジブラルタル海峡(モロッコ~スペイン間)の横断飛行に挑戦するも、雲中で乱気流に遭い断念、パラシュートで海に不時着し、失敗に終る。現在はグランドキャニオンでの飛行を計画中。

ドーバー海峡横断の冒険は、世界の冒険家・挑戦者を特集する「SOUL」にて動画付きで掲載。

 

 

Text:Kei Totsuka
Photos:Kiyoshi Tsuzuki

 

 

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日本の“空”を切り拓く!

Mephisto(以下M)まずは、受賞の感想をお聞かせください。

室屋ファウストという、人生において挑戦し続けようという人たちのグループのなかで挑戦者賞をいただいたということは、非常にありがたいことですね。挑戦者のなかの挑戦者として選んでいただいたという重みを受け止めています。




Mもちろん、エアロバティックスのパイロットとしては、数々のタイトルを手にされていると思いますが、それとは別に賞を受けるという経験は。

室屋ないですね。初めてです。

Mアジア人として初となるレッドブル・エアレースへの参戦は、受賞に値する偉大な挑戦だったと思います。

室屋自分がやってきたことを評価していただき……、いや、「評価された」という言葉を自分で使うべきじゃないですね。挑戦者の仲間が集まるなかでこういう賞をいただき、自分が挑戦してきたことの意味を、あらためて自分でも再認識できた。うれしいのと同時に、自分のためになった、というのが実感ですね。

Mファウスト大賞のイヴ・ロッシーさんが受賞スピーチのなかで「子供のころの夢」についてお話しされていましたが、室屋さんの子供のころの夢と共通する部分が多かったのではないですか。

室屋イヴさんの話は、僕もすごく分かる気がしました。イヴさんはすごいチャレンジャーだし、研究熱心だし、何事にも一生懸命ですよね。僕もまだまだ追い求めなければいけないことがたくさんあるなと、あらためて思い知らされました。世の中には、すごい人がいるものですね。

M室屋さんもイヴさんのように、生身の体で飛んでみようとは思いませんか。

室屋今、自分が乗っている飛行機というのは、感じたままに飛んでくれるし、精神の乱れが飛行に影響する。そういう意味では、本当に自分の体で飛んでいるのと同じ感覚だから。それこそ、自分の体で飛ぶよりダイレクトに伝わる……、まあ、自分の体で飛んだことないから分からないけれど(笑)。

M実際に自分の体で飛んでみたいという気持は。

室屋飛んでみたいような、みたくないような(笑)。

M2010年シーズンもエアレースへのフル参戦が決まっていますが、新シーズンへ向けての準備はいかがですか。

室屋チームコーディネーターがいるニュージーランドへ飛行機を送って、そこでテストフライトをある程度やって、改造の段取りをつけて一度帰国したところです。向こうで改造をやってもらってるので、僕も2月いっぱいはニュージーランドに滞在して、テストフライトをする予定です。そこでトレーニングもしながら、3月の頭には、第1戦に向けて飛行機をアブダビへ送り出すことになります。

Mここまでの手ごたえはいかがですか。

室屋いろいろとテストをやって、改造プランを立てたのですが、それがうまくいっている……みたいなので(笑)、成績は期待できると思います。新シーズンの目標は、総合順位でトップハーフ(全パイロット中で上位半分)に入ること。今の改造がうまくいけば、十分可能性はある。あとは、ほかのチームがどの程度上げてきているか、ですね。

M目標が達成されれば、来年はファウスト大賞受賞ということも……。

室屋いやいや、こういう賞は狙って取るようなものではないと思いますから(笑)。でも、自分の挑戦はまだ始まったばかりですので、あくなき挑戦を続けていきます。

M受賞のスピーチでおっしゃっていたように、エアレースで世界一を目指すことはもちろんですが、それ以外にも、今後こんなことにチャレンジしていきたいということはありますか。

室屋2009年11月に、日本で初めての曲技飛行の大会を開いたんですね。曲技のみならず、スカイスポーツの底辺を拡大して、それをしっかり定着させようということを目的にした試行だったのですけれど、かなり反響が大きくて30人近く集まっちゃった。案外、空を飛びたい人がたくさんいるということが分かったので、その基礎作りをしたいですね。2010年もぜひやってくれ、と多くの人から言われていますし。法改正も含めて、もっとスカイスポーツを一般に普及させて、みんなが触れられるものにしていきたいと思っています。

 

むろや・よしひで
1973年1月27日、奈良県出身。大学の航空部を経て、97年2月に渡米、アクロバット飛行の全米チャンピオンを育てたランディ・ガニエに入門。同年7月にアクロバット飛行世界選手権に出場。2002年日本にて「チーム・ディープブルース」旗揚げ。エアロバティック・パイロットとして現在まで140か所超に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。本拠地「ふくしまスカイパーク」ではNPO法人ふくしま飛行協会を設立。日本の航空文化啓蒙や青少年教育活動に取り組む。09年から“空のF1”レッドブル・エアレースに、アジア人初・唯一のパイロットとして参戦。世界のトップパイロット15人がひしめく中、年間成績13位と苦戦を強いられるも、最終戦バルセロナでは6位に食い込む健闘を見せた。2010年の参戦も決定しており、さらなる飛翔が期待される。

レッドブル・エアレースで世界チャンピオンに挑戦する過程を「MASTER」にて連載中。

授賞式でのスピーチ【動画】はコチラ

 

Text:Masaki Asada
Photos:Kiyoshi Tsuzuki

 

 

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人の夢を応援するのが僕の夢

Mephisto(以下M)坂本さんの受賞スピーチのなかにあった、「本当にすごいのは、自分ではなく、自分の活動を理解して応援してくれる周りの人々」という言葉がとても印象的です。まさに、社会貢献活動賞受賞者ならではの言葉だったと思います。

坂本はじめてアフリカに井戸を掘ったときに、「日本ありがとう、日本バンザイ」と言われたのですね。それを聞いたときに、個人的な恩返しのつもりでやったことが、日本という国を評価してもらったり、人の命に関わるようなことにつながったりしたのだなっていう、すごく新鮮な感動を覚えたのです。今回この賞をいただいて、それと同じようなものを感じました。自己満足で始めたことで、社会とのつながりを持てたというか。

 



M自転車世界一周の途中でマラリアにかかった坂本さんを助けてくれたことへの、純粋な恩返しから始まっているのですよね。

坂本そうですね。ただ、恩返しもあるのですけど、現地の人たちが「井戸ができてうれしいけど、タツが毎年来てくれるのがうれしい」とか、言ってくれるわけですよ。そう言われると、また行きたくなる(笑)。現在は、僕の活動のパートナーである、ギニアのお医者さんの夢を応援するのが、僕の夢になっています。

Mそれは、具体的にはどんなサポートをしているのですか。

坂本最初は、水だったのです。僕がその医者の彼から村に残る最後のワクチンをもらったので、まずワクチンを持って戻ったら、喜んではくれたけど、最後に言われたことが「本当にほしいのは水だ」と。確かに、きれいな水があれば、病気にならなくてすむ。それで、まず井戸を作ったのです。すると、彼には診療所を作るという長年の夢があることが分かったので、次に4年がかりで診療所を作り、昨年5月に完成しました。その後は、そこで働くお医者さんになる学生のための奨学金制度の設立したり、知識がなく、出産するときに危険な目に遭ってしまう母子のために分娩室を作ったり。あとは、電気がきていないのですけど、今ソーラーパワーの設備が結構安く手に入るので、そういうものを作る支援もしています

M彼らの希望から始めているわけですね。

坂本こういう活動は、押しつけとか自己満足とかに陥りがちなのですけど、村長さんとか、宗教のトップの方とかと話し合いをして、彼らが本当に必要としていることを、みんなの合意が取れた上で「じゃあ、やりましょう」と。必要ないことやっても現地の人にとっては迷惑ですから。彼らの「自分たちのプロジェクトだ」っていう意識を大切にしています。もちろん、彼らに金銭の負担はしてもらって、労働力を提供してもらって。要は、タダだと大事にしないというか、それがあって当たり前になる。彼らが4年間かけて準備に取り組んでいたので、僕は本気だと思って支援を続けました。

Mただやってあげることが、本当の社会貢献ではないわけですね。

坂本実際、僕も自転車で世界一周しているときに、アフリカで使われていない診療所とか、砂とか土が入って使っていない学校とか、電気も通っていない電柱とか、そういうのを見ていましたので。僕も税金を払っている身ですから、それは違うだろうと思って。

誰かにやってもらうのでなく、自分たちのプロジェクトだって思ってもらうことが大切です。準備を重ねてからスタートし、現地の人が主導でおこなってますから、今のところ失敗はありません。井戸も水管理委員会が運営をして、使用家族から毎月いくらかお金を集めて、それで修理代とかを出しています。

M現在もミキハウス人事部勤務とのことですが、会社業務との兼ね合いは。

坂本この活動は会社の業務とは一切関係ありません。会社では採用の仕事をしっかりやるっていう前提で活動ができています。会社は、お金は出さないけれども、時間は坂本に自由に使わす、と。社会に貢献できることであれば、ということで、それを認めてもらっていると思っていますので、講演で年間100回近く学校を回ったり、ギニアでそういうプロジェクトをしたり。同世代の人に「会社勤めをしながらでも夢ってかなえられるんだ」って思ってもらったり、子どもたちに夢を伝えるってことも大事な仕事だと思っています。

M会社の理解もすばらしいですね。

坂本それが一番すごいところなのです。会社に行かないから周りの目も気になるのですけど、後輩が「タツさんは、タツさんにしかできないことをやってください。タツさんの夢を応援するのが、僕らの仕事ですから」とか言ってくれる。もう泣いちゃうんですけどね、そんなこと言われると(笑)。そういうありがたい環境を作ってくれる会社の文化。それがすごいなと思います。

M今後はどんな活動を考えているのですか。

坂本ギニアでは主に医療面での活動をしてきましたが、並行して、ブータンでは教育面での活動をしています。ブータンには幼稚園と小学校を作りました。昨年完成して、開校式にも出席してきたのですけど、そういう形で、教育を受けられなかった人たちを学校に行かせたいという夢を、ブータンでは応援しています。今は、そこに図書館を作りたい。たぶん何年後かになると思うのですけど、それをやっていきます。そうした「人の夢を応援する」ということが、今回みたいな形で評価していただけたのなら、うれしいですね。

 

さかもと・たつ 
1968年6月14日生まれ、東京都出身。株式会社ミキハウス人事部採用担当。11歳まで暮らしたパリでツール・ド・フランスに魅せられ、自転車の虜に。1992年株式会社ミキハウス入社。100年分の有給休暇をもらい、1995年9月から4年3ヶ月間、5万5千キロ、自転車世界一周。その冒険中、アフリカ・ギニアでマラリアにかかり瀕死の重症となった彼は、村人たちに村唯一のワクチンを打ってもらい救われる。帰国後その「恩返し」をするため、自力でこの村に井戸を堀り、冒険を綴った出版物の印税、講演活動などで得た収益を村の診療所建設に費やし、2009年4月完成に至った。2002年、自転車で日本を縦断する「夢の架け橋プロジェクト」 で86会場を回り講演。2003~2007 年、JICAピース・トーク・マラソン参加。著書に『やった。』、『ほった。』(共に三起商行)、文部科学省選定作品DVDドキュメンタリー『夢 その先に見えるもの』(TMオフィス)。現在もミキハウス勤務のかたわら、全国の学校で講演活動を続け、著書の印税によりアフリカの村で井戸の建設・診療所の改修などを実行中。

坂本氏の公式サイトはコチラ

授賞式でのスピーチ【動画】はコチラ

 

Text:Masaki Asada
Photos:Kiyoshi Tsuzuki

 

 

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ケガや衰えに勝るモチベーションを冒険が与えてくれる

Mephisto(以下M)偉大なる冒険者の先輩に、こうして第1回のファウスト・アワードにご出席いただいたことをうれしく思います。

三浦今、一般的には若い人たちの冒険心、チャレンジ精神が低いと言われていますよね。でも、こういうカテゴリーで表彰してくれるアワードがあると、これから何かにトライしよう、チャレンジしようという人にとって、非常に大きな励みになる。これを目標にするわけじゃないとしても、結果として、こういう賞を与えられるというのは非常に名誉だし、励みにもなる。力を与えてくる、すばらしい機会だと思いますよ。

M三浦さんは世界的な規模で冒険活動をされているので、様々な受賞経験をお持ちですよね。

三浦まあ、いくつかありますね。例えば、内閣総理大臣賞だとか、僕が住んでいる北海道の道民栄誉賞、青森の名誉市民。海外では、スペインの冒険栄誉大賞や、フランスの青少年スポーツ功労賞。それに、僕がエベレストを滑った記録映画がオスカーをもらっています。でも、こういう国際的な冒険アワードが日本国内で行われるというのは、画期的なことですね。

M三浦さんにとって、冒険のきっかけというのは何でしたか。

三浦僕のルーツは、青森県の八甲田山。子供のころにスキーをやっていて、あの山の向こうはどうなっているのだろうという、未知の雪山に対する好奇心と言いますかね、その続きだと思います。世界の7大陸の最高峰、つまりセブンサミットでスキー滑降をやったりしましたけど、それも子供のころから続く、未知の世界へのあこがれからですよ。もちろん、スキーでオリンピックに出たいとか、日本一になりたいとか、そういうことを思って高校、大学時代はやっていましたが、実現できなかった。それならばと、まったく違う世界で、スキーを通して自分を表現したかった。例えば、南極で滑り下りるとか、世界中の誰も考えなかったようなことを自分で発想して、マンガチックにおもしろおかしくやってきたわけです(笑)。

Mこれまで様々なことに挑戦されてきた三浦さんですが、現在の夢というと、受賞スピーチでもおっしゃったように、3度目のエベレスト登頂ということになりますか。

三浦そう、2013年に80歳でのエベレスト。今度は中国側なので、チョモランマですね。

M80歳でエベレスト……、正直、想像すらできません。

三浦どんなカテゴリーの冒険でもそうですが、ひとりでやっているつもりでも、いろんな人のサポートがなければ実現しません。僕の場合も、超一流の登山家、カメラマン、シェルパー、サポートしてくれる企業、それにうちの息子も含めて、いろんな人たちのおかげでできるのです。彼らが、夢の実現の支えや土台になっています。

Mこれまでには当然、ケガなどもあったと思いますが、それでもやめられない冒険の魅力とは何ですか。

三浦スポーツ選手にはケガはつきものですが、特に僕のような後期高齢者になると(笑)、こんなはずじゃなかったという、いろいろな障害が起きています。心臓病だったり、体力の衰えだったり、あるいは昔のケガがぶり返したり。それとの闘いですが、それでも、やってみたい、やってやろうという気持になりますね。

普通は、高齢だからあきらめるのかもしれないですけど、僕の場合はそれを理由に、つまり70歳だからやってみよう、ケガをしたから、それを治してまたやってみよう、というふうに考えるほうなのですよ。そういうことを越えていきたい、と言いますかね。ケガや衰えに勝るモチベーションを、エベレストが与えてくれるのでしょうね。

Mむしろ、歳を重ねるごとに意欲が増しているようですね。

三浦それはありますね。でも、やっぱり悔しいですよ。山を登っていても、30代のころはスッと登って行けたところを、やっとのことでクリアするのですから。実際、37歳でエベレストに登ったときの時間は全部分かっているわけですよ。例えば、第1キャンプから第2キャンプまで、前は2時間だったところが6時間経ってもまだ着かないとか(笑)。だけど、それを自分で受け止めないと。山は逃げないし、自分さえ逃げなきゃ、いつかたどり着けるわけですから。

Mまさに、「人間は生涯冒険」ということですね。

三浦僕も若いころはね、父親がいろんなことをやっているのを見て、「いい歳して、何がんばっているのだろう」みたいな感じもありました。だけど今は、いくつになっても、おもしろいことは見つけられるし、そのチャンスは自分で作れるのだと思っています。

 

Faust Profile

みうら・ゆういちろう
1932年10月12日生まれ、青森県出身。ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、クラーク記念国際高等学校校長。国内でプロスキーヤーとして活躍した後、1964年伊・キロメーターランセに日本人初参加、時速172.084kmの世界新記録樹立(当時)。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降。その記録映画「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」でアカデミー賞受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を達成。2003年次男の三浦豪太氏とともにエベレスト登頂し、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)を樹立。2008年5月26日、75歳7カ月にして2度目のエベレスト登頂。父親は日本の山岳スキーの草分け、故・敬三氏。長男の三浦雄大氏、次男の豪太氏もプロスキーヤーという三代続くスキー一家。

 

「INTERVIEW」にて三浦氏の冒険の裏側と感動の逸話が語られる。

授賞式でのスピーチ【動画】はコチラ

 

Text:Masaki Asada
Photos:Kiyoshi Tsuzuki

 

 

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  • ◎授賞式の模様はコチラ
  • ◎Faust A.G. Awards 開催概要 ファウストA.G.アワードとは画像

Who is Mephisto ---メフィストとは

人生のすべてを知ろうとした、賢老人にして愚かな永遠の青年「ファウスト」(作:ゲーテ)。この物語でメフィストとはファウストを誘惑し、すべての望みを叶えようとする悪魔。当クラブ「Faust Adventurers' Guild」においては、Faustの夢と冒険の物語をサポートする案内人であり、彼らの変化や心の動きに寄り添う人物。時に頼れる執事、時に気の置けない友人のような存在は、『バットマン』におけるアルフレッド(マイケル・ケイン)、『ルパン三世』における不二子&次元&五右衛門トリオのようなものか? 今後、Mephistoは各クエストの終わりにFaustの皆さまの心を探りに参ります。どうぞよろしく。

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