Vol.006

未知の領域に気負わない感性で挑む

高島郁夫

株式会社バルス代表取締役社長

日本社会に不透明感が漂流して久しい。
政治も経済も停滞から抜け出せず、社会全体が活力を失っている。
そんな中、日本を明るく照すように輝くリーダーがいる。
株式会社バルスの代表取締役社長を務める高島郁夫だ。
幅広い世代に高い支持を受けるFrancfranc(フランフラン)をはじめ、BALS TOKYO(バルストウキョウ)、WTW(ダブルティー)やJ-PERIOD(ジェイ-ピリオド)などのインテリアショップを国内外に160店舗以上展開し、それぞれに独自のコンセプトを打ち出しながら多様なライフスタイルを提案している。
トライアスリートとしても名高い高島の、挑戦に彩られたオンとオフに迫った。

デザインという付加価値で
豊かなライフスタイルを提案

欧米の影響を強く受けやすい日本人の価値意識は、国内経済の不況も相まって「安さ」へ走っている。外国資本のファストファッションが、軒並み銀座に旗艦店をオープンさせている様を見てもその傾向は明らかだ。
ファッション性と低価格を両立させた商品は、確かに魅力的だろう。
その一方で、「なぜ、その商品を選ぶのか」といった理由付けはぼんやりとしがちだ。

インタビューは青山のバルス東京本社の高島の社長室にて行った。

高島が展開するFrancfrancなどのショップも、リーズナブルな価格帯の商品を取り扱っている。だが、安さを全面的に押し出しているわけではない。「付加価値」をキーワードとしている。
「我々が日常生活で必要なものって、実はもうあまり多くない。少なくとも自宅で使うものについては、ひと通り揃っているでしょう。けれど、たとえばデザイン性のあるカップでコーヒーを飲めば、いつもと同じ時間が豊かになる。何気なく使う商品ひとつで、自宅の景色や気持ちが変わったりすると思うんです。楽しい時間を過ごしているな、このカップを使うと嬉しいな、と気持ちが満たされるようなお手伝いをしていきたいんです」
温もりのある空間と豊かな時間の提供を心がける高島のコンセプトは、店内での接客にも表われている。商品を無理に勧めるようなことはしない。
「自分がお客様の立場になれば、あれこれ勧められても困ることがあるでしょう」と高島は笑みを浮かべ、その胸中を披瀝(ひれき)する。
「楽しいことや嬉しいことには、誰でも興味を抱くもの。お店に来て可愛い商品があったり、新しい商品があったりすれば、お客様は自然と関心を持ってくれる。だからこそ、『どうしたら来店してくれた方々に楽しんでもらえるか』を追求したい。我々のショップはディスプレイを高い頻度で変えますし、Francfrancでは毎月多数の新商品を投入していますが、それも『あ、この前と違うな』という驚きや、自然とまた来たくなるワクワクとした気持ちを誘いたいからです」
成功の秘訣は、まだある。
「難しいことじゃないですけどね」と前置きをしてから、高島は続ける。
「お客様はよくいう『ターゲット』のような、狙い撃つ標的などではないのです。狙っているという意識があると、商品が売れなかったりすると『外れた』という気持ちになる。けれど、我々の店舗で買い物をしなかったとしたら、それはお客様が満足するものを提供できなかったのだと反省するべきでしょう。店内が楽しい雰囲気ならまた来てくださるし、欲しいものがあれば買ってくださる。そのふたつをきちんとクリアしていくことが、商品を提供するビジネスの原点ではないでしょうか」
活字にするときわめてシンプルな響きだが、これこそが「消費者目線」ということだろう。「難しいことじゃない」と高島は繰り返すが、ブレのない経営方針は21世紀を牽引するリーダーにふさわしく、だからこそ彼のビジネスモデルは成功につながっているのだ。

自分が行きたい都市に出店する
中国、シンガポール、そしてヨーロッパへ

徹底的なまでに消費者の視線に立つ高島は、自らの仕事の形態さえも変えていく。2010年から仕事の拠点と住居を香港へ移したのだ。
2003年から香港にFrancfrancを出店していたのも大きな理由だが、商品の委託工場が多い中国の華南地区に近いことが、香港行きを後押しした。
「海外に出ようとか、外資系企業になろうといった野心が先行して香港に出たわけではなくて、海外展開を考えると拠点を日本にこだわる必要がなかったということです。ただ、香港の現地法人は黒字化まで5年かかっていますから、最初は苦戦しましたが。いまはスマートフォンやタブレット端末もあるので、どこにいても連絡は取れます。我々の現場は店舗であり、モノ作りの工場であり、経営者がどこにいてもそれは変わらない。私の仕事は現場にこそあると考えているので、それならばと海外へ移ったまで。月の4分の3ほどを海外で過ごしていますが、とくに不便も感じませんからね。現地で採用した社員も優秀で頼もしい。逆を言えば、また何年後かには別の国に移っていることもあるかもしれません」
Francfrancは香港、中国、韓国に進出しており、今年6月にはシンガポールに世界最大の旗艦店がオープンした。日本の自動車産業などと同じように、高島にとってもアジアは重要なマーケットとなっているようだ。
そして、ここにも彼らしい感性が貫かれている。海外進出の場所選びは、「自分が行きたいところ」を基本としているのだ。ビジネスで、プライベートで、訪れた街を歩いて空気感に肌で触れる。どんなレイアウトのショップに、人々が集まっているのか。街全体を彩る色を、デザインを、自分の足でリサーチする。様々な情報ツールを駆使して、訪れた国はもちろん世界の最先端のトレンドをキャッチアップする。そうしたたゆまぬ努力が、世界へ飛び出していく土台を作り上げていった。
「アジアという市場にポテンシャルを感じているのは確かだけれど、 基本的には自分が行きたいところへ出店したいんです。行きたいということは僕自身が楽しさを感じているわけで、その地域に魅力があるということでもある。ひいては、我々の商品が受け入れられる土壌があるんです」
その肝となる土壌を「自分の行きたいところ」という高島の気負わない感性で見極め、海外すら進出、展開してゆく。

シンガポール最大級のショッピングセンター「Vivo City」に構える世界最大級のFrancfranc。(Photo Nacasa & Partners Inc. )

海外進出という挑戦は、アジアの枠にとどまらない。高島の視野は、ヨーロッパやアメリカ、新興市場として注目を集めるブラジルにも向けられている。
「アジア以外となると、まずはヨーロッパに進出したいですね。最初はどこかと聞かれると、やっぱりイタリアかな。もちろん、時間があれば自分が行きたい国のひとつでもあるので(笑)」
海外進出が加速してきた2012年、バルスはMBO(経営陣が参加する買収)によって株式の上場を廃止した。
「それ自体にものすごく大きな意味があるわけではないんですが、海外へ進出していくにあたっての環境整備、という意味合いでしょうか。自由裁量が増すメリットはありますので」
そして、高島はこうも語る。
「香港かシンガポールで、もう一度株式を上場するというのは、ひとつの挑戦になるのかもしれないですね」

20周年を迎えたFrancfrancブランドは、10月5日、新たなコンセプトショップとして「LOUNGE by Francfranc」を東京・南青山三丁目にオープンさせた。時間、素材、手仕事をテーマに様々な「試み」に取り組み、これからのFrancfrancを体感できるこの旗艦店には、決して立ち止まらない高島の人生そのものが投影されているのかもしれない。

10月5日に外苑前にオープンした「LOUNGE by Francfranc」。従来のフランフランに対し、ラインナップと価格帯をややアップさせた新業態。(Photo SUGURU AZUMA)

経営にも通じるトライアスロン愛

時代のリーダーである高島は、サーフィンやトライアスロンなど多くの趣味を持つ。多忙な日常のなかからどうやって時間を作り出すのかを問われれば、「それはそれだからね」と高島は朗らかに笑う。
「仕事中でもちょっと行き詰まったら、1時間ぐらい走りに行きます。汗を流すと頭がすっきりして、アイディアが浮かぶんですよ」
バルスの社員にも「どんどん遊べ」と口癖のように話す。
「我々はお客様に楽しんでいただくお店作りをしているわけですから、社員が楽しまないと豊かなライフスタイルも提案できません。有給もちゃんと消化して、自分のための時間を過ごしてほしいんです」
近年の高島自身がもっとも情熱を注いでいるのは、トライアスロンだ。2008年にはトライアスリートの情報発信基地とも言うべき会社「アスロニア」も設立。スポーツナビゲーターの白戸太朗氏が代表取締役に就任し、同じ企業家である、青山フラワーマーケットを主宰する井上英明氏(パーク・コーポレーション代表)、稲本健一氏(ゼットン代表)らとともに、高島も役員に名を連ねている。トライアスロンがひろげるネットワークが、趣味の領域を飛び越え、スポーツ振興へとつながっていったのだ。

トライアスロンとの出会いは、30代半ばまでさかのぼる。友人を介して大会に出場し、その後数年にわたってスイム、バイク、ランの三つをこなすこの競技にのめりこんでいった。

ロタ島でのトライアスロンは、高島のお気に入りの大会の一つ。透明度30mを誇る美しい海を泳ぐ。

ところが、1990年のバルス設立とともに仕事が多忙を極め、トライアスロンから遠ざかってしまうことになる。
眠っていた情熱に再び火がついたのは、いまから6年前。知己である稲本氏を通じて白戸氏と出会い、トライアスロン談義で盛り上がった。
「経験者として稲本さんにトライアスロンを勧めるうちに、じゃあもう一度自分もやるかということになったんです」
バルスのトップとして経営に携わりながら、国内外でレースを重ねていった。トライアスリートとしてリスタートを切ったのは2006年だから、50歳からの再挑戦である。

2011年ロタ島でのトライアスロン。バイクパートにて歯を食いしばり疾走する高島。
ロタ島でのランパート。

「トライアスロンには、年齢に応じた楽しみ方があるんですよ。自分をどれだけマネジメントできるのかが大切で、その点では30代よりいまのほうがうまくいく。その日の自分のコンディションと相談して、天候とか風なんかも考慮して、レースを組み立てる。練習するにもレースでタイムを出すのも、マネジメントが必要なのは、どこか企業の経営に通じるところがありますね。精神力も養われるし、体力も今が一番あるんじゃないかな。実際にタイムも、最初にやっていた当時よりいまのほうがいいですからね」

泳ぎ、漕ぎ、走る223km
57歳、アイアンマンへの挑戦

昨年までは、スタートを告げるホーンとともに1.5キロを泳ぎ、バイクで40キロを駆け抜け、10キロのランを走り抜いてゴールテープを切る、オリンピックディスタンスを主戦場としてきた。フィニッシュ後の達成感は何度経験しても飽くことがないが、高島はさらなる高みを目ざしていた。
3.8キロのスイムと180キロのバイクをクリアしたうえで、42.195キロのフルマラソンを走破する「アイアンマン」への挑戦だ。2012年も例年どおりに各種大会に臨みつつ、高島はアイアンマン仕様の身体へ徐々にシフトチェンジしている。



高島が取締役を務めるアスロニアは、ホノルルトライアスロン、アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン(写真/提供IRONMAN70.3 Centrair Tokoname Japan)など大会も主催・運営する。

今年3月には、「アビバ・アイアンマン70.3シンガポール」に出場した。3種目すべてがアイアンマンの半分の距離で行なわれるハーフのアイアンマン(計70.3マイル、113キロ)で、高島は初出場ながら見事に完走。それから6カ月後の9月には、「ホノルルセンチュリーライド」にエントリー。ファンライドのイベントだが、バイクに重点課題を置く高島は100マイル(160キロ)をクリアすることで、手応えを深めていく。また、11月3日には台湾へ飛び、再びハーフアイアンマンに出場する。
日々のトレーニングは香港と東京が中心となるが、「香港はバイクを走れるコースがないので、ちょっと困っているんですよ」と苦笑いをこぼす。バイクの練習は、日本帰国時に仲間とともに距離を稼いている。 「最初の予定では60歳になる2016年に挑戦しようと思っていたのだけれど、それから2014年に目標を前倒しして、来年3月の大会にエントリーしました。いつまでにやるというのはあくまでも目安なので、できるものならトライしていいだろう、と。まあ、何とか行けそうな気もします」

ささやかな自信の裏側には、経験が裏付ける戦略がある。
「アイアンマンは確かに距離が長いですが、タイムカットが18時間とかですからね。スローペースでもじっくり時間をかけて、完走を目標に頑張れればと思います」
綿密なスケジューリングのもとでトレーニングを積みたいはずだが、バルスのトップという立場ではそれもかなわない。限られた時間のなかで、アイアンマンへの階段を一歩ずつ登るのが高島流だ。
「稲本さんや本多さんなど、すでに出場した知人がいますので、アイアンマンがどれぐらい大変なのかは聞いています。着実に練習を積んでいけば、何とかゴールにはたどり着けるはず。だからといって、数カ月前から緊張状態に入る必要もないでしょうし、自分にできる範囲内で趣味を楽しむというスタンスは、トライアスロンでもアイアンマンでも変わりません。1カ月前からは禁酒をして、身体を仕上げていかなきゃいけないとは思っていますけどね」
自らを過信せず、かといって臆することもなく、高島はアイアンマンに挑む。未知の領域をまえにしても、彼は自然体を崩さない。日頃から自分と向き合っているからこその落ち着きだろう。
2013年3月24日、高島はオーストラリアのメルボルンで初のアイアンマンに臨む。オセアニア有数の世界都市で行なわれるレースは、高島にどのような試練を与え、どのように困難を乗り越えるのだろう。
アイアンマンのレースでは、フィニッシュのテープを切ったアスリートの名前がアナウンスされる。

FUMIO TAKASHIMA,
You are an IRONMAN!

ゴールのイメージを、高島は少しずつ、確実に、思い描いている。

アジアでの事業展開も、アイアンマンへの出場も、高島はほんの小さな力みさえ感じさせない。気負いを感じさせない自然体でありながら、研ぎ澄まされた感性が日々の積み重ねを促し、バルスという企業にダイナミズムを生み出す。それこそが高島の挑戦スタイルであり、閉塞感が漂う日本社会を導く指針となるものかもしれない。

高島郁夫

たかしま・ふみお

株式会社バルス代表取締役社長

1956年福井県生まれ。1979年関西大学経済学部卒業後、マルイチセーリング株式会社に入社。90年に株式会社バルスを設立後、96年にMBOによって独立する。2002年ジャスダック市場に株式を上場、2005年東証二部に株式を上場。2006年東証一部に株式を指定替え。
2002年に香港、10年に中国、11年にシンガポールに法人をそれぞれ設立する。2012年、MBOにより非上場化。20周年を迎えたFrancfrancをはじめとして、BALS TOKYO,J-PERIOD,About a girl,WTWなどを展開。ファッショントレンドや感性からマーケティングを実施し、大型路面店の展開や海外展開の拡大などグローバルブランド化を推進している。趣味はトライアスロンとサーフィン。

株式会社バルス公式サイト
www.bals.co.jp


愛用のアイテム サーベロ P5
愛用のアイテム
サーベロ P5

「アイアンマン挑戦に合わせて購入しました。耐久性と快適性を兼備していて、過去のサーべロに比べるとエアロダイナミクスにも優れる……といった情報は聞いていますが、本音を言えば新しいものを取り入れたい気持ちが強かったですね(笑)」

好きな本
「Think Simple」(ケン・シーガル)

好きな音楽
Jack Johnson

「聞くとはなしにBGMとして聴いています」

好きな映画

「実は特別こだわりはないんですよね(笑)。飛行機の移動が多いので、機内で観ます。ただし本数としてはそれなりに多くて、最新作はおよそ網羅していると思いますが、この1本を選ぶというのはちょっと難しいですね」

2012/10/31

当「ファウスト魂」ページは、2012年8月~2014年2月まで日経電子版に掲載されていた特別企画を転載したものです。