冒険のクロニクル

人類は、新たな未来を切り開くために、数多の冒険や挑戦を重ねてきた。未踏の地を目指した者、知られざる世界を開こうとした者、そして、前人未到の記録を打ち立てようとした者などなど。いにしえより多くの勇気ある人々により綴られた冒険と挑戦の歴史。高度な文明を築き上げた現代にあっても、未だに身ひとつと叡智を駆使し、さらなる冒険に挑む人々がいる。「過去」「現在」そして「未来」。彼らの冒険の歴史を紐解くことで、世界はまた夢と希望と勇気を与えてもらえる。『冒険のクロニクル』は、世界で活躍する冒険者たちの生き様を書き記していく。

プロフリーダイバー・篠宮龍三

北極男が紡ぐ極地冒険譚 北極点をつかむ、三度目の挑戦(後編)

水深100mを超える海中は、ほの暗く、かすかに水の動く音だけが聞こえる静謐の世界。息を止め、生身の体でそこへ入っていくことは、己と海とをひとつにする行為に他ならない。
水圧によって体は押しつぶされ、わずかなミスで命を落とすことにすらある。それでも恐怖心をコントロールし、あくまで冷静に、ときには優雅ささえ漂わせて、ダイバーたちは夢に描く高み、いや、深みを目指す。
そんなフリーダイビングの世界に身を置く、ひとりの日本人アスリートがいる。
篠宮龍三。日本にただひとりのプロフリーダイバーである。

ジャック・マイヨールに誘(いざな)われたアスリート

2013年5月、ホンジュラスのロアタン島で開かれたフリーダイビングの国際大会「カリビアンカップ2013」において、篠宮はコンスタントノーフィンで水深56mに到達して3位となった。 この記録は当時、アジア記録を8年ぶりに更新するものであり、篠宮はこれにより、コンスタントウィズフィンでの115m、フリーイマージョンでの104m(ともに2010年に記録)と合わせて、フリーダイビングの海洋3種目すべてでアジア記録を保持することとなった。
伝説的フリーダイバー、ジャック・マイヨールの自伝的映画「グラン・ブルー」によって、その存在を広く知られるようになったフリーダイビング。篠宮もまた、かのレジェンドに憧れ、18年前にこの世界に足を踏み入れて以来、ワールドクラスのフリーダイバーとして、今なお活躍を続けている。

(左)コンスタントノーフィンはフィンを付けずに、己の肉体だけで水深をめざす種目。
(中央)水深56mに到達した篠宮を、クルーやライバル選手たちが笑顔と喝采で迎える。
(右)全競技終了後、大会表彰式でのひとコマ。

2015年5月、篠宮はバハマにて行われたフリーダイビングの国際大会、「バーティカル・ブルー(Vertical Blue)」で準優勝。晴れの表彰台に立っていた。
篠宮が国際大会の表彰台に立つこと自体は、特に驚くべきことではない。彼は過去に世界ランキング2位にまでなったトップクラスのフリーダイバーである。事実、これまでにも数多くの大会で歓喜に浸ってきた。

だが、2015年の準優勝がこれまでとは異なる意味合いを帯びるのは、それが海洋3種目の総合、すなわち、コンスタントノーフィン(フィンを着けずに潜る)、コンスタントウィズフィン(フィンを着けて潜る)、フリーイマージョン(ガイドとなるロープを手繰りながら潜る)の合計ポイントでの成績だったからだ。

かつての篠宮は、「コンスタントウィズフィンにこだわり、それを極めようとしていた」。コンスタントウィズフィンとは、3つのなかでは最も深くまで潜ることのできる種目であり、見た目にも派手な、ある意味で花形種目と言っていい。
「アジア人で初めて100mを越え、ジャック・マイヨールの記録(105m)を越え、あとはどれだけ世界記録に近づけるか。あるいは、越えることができるか。それしか考えていませんでした」

だからこそ、篠宮の心変わりに驚かされる。篠宮は、なぜ3種目総合に挑戦しようと思ったのか。さらに言えば、そこでなぜこれほどの好成績を残せたのか。
「もちろんバーティカル・ブルーにも種目ごとの表彰があり、単独種目で表彰台に立つのもいいんですが、3種目総合でのメダル争いが大会の一番のハイライトになっていて、その表彰式の盛り上がりのほうが大きいんです。だったら、3つ全部出たほうがいいかな、と」
篠宮は照れたような笑いを浮かべ、そう語る。

得意種目を伸ばすのか、弱点の少ない競技者を目指すのか

しかし、自らのこだわりを捨て、方向転換した理由が、「表彰式が盛り上がるから」だけであるはずはない。そこに至るには確かな伏線が存在していた。
篠宮は自らこだわっていたコンスタントウィズフィンはもちろん、フリーイマージョンも合わせた2種目については、2010年にアジア記録を更新していた。ところが、コンスタントノーフィンだけは「自分のなかでウィークポイントと言いますか、それまであまり手を付けていなかったところがあり、十分に強化できていなかったんです」。
コンスタントノーフィンは手と足だけを使って平泳ぎのスタイルで潜っていくため、「とても技術が必要な種目なんです」と篠宮。しかも道具には頼れないため、他の2種目に比べて深くまで潜れない。篠宮が「コンスタントノーフィンはすごく過酷な種目」だと評するその言葉は、強化が十分でなかった事実を裏づけている。

一方で、篠宮は得意種目だけをやり続けることの弊害も感じていた。
「同じ種目だけをやっていると、気持ちが疲れてきてしまうし、体の同じ場所ばかりを使うので、そこだけが疲弊して故障しやすくなってくる。そこで少し視点を変えて、他の種目に取り組むことでもう一回体の使い方を再構築すれば、自分が得意とする種目の記録も伸びるのではないか。そんな期待がありました」

こうして篠宮は、コンスタントノーフィンに注力するようになった。
苦手と感じていた種目も、本格的に取り組むと記録は伸びた。2013年にロアタン島で56mを記録して8年ぶりにアジア記録を塗り替えると、その後も60m、65mと記録をさらに更新。2014年のバーティカル・ブルーではコンスタントノーフィン1種目に絞って出場し、66m(2016年3月現在のアジア記録)まで記録を伸ばした。
成果は上々。ところが、篠宮はこれに納得しなかった。
「自分のなかではもっと行けたなっていう気持ちがありました。70mは越えたかったんですけどね。世界のトップレベルは70m、80mなんてザラ。やっぱり60m台では満足はできません」 まだまだ記録は伸ばせる。そう確信していた篠宮は、2014年に続き、2015年もコンスタントノーフィンの強化に専念した。2015年のバーティカル・ブルーでもまた、コンスタントノーフィンだけに出場するつもりでいた。

ところが、である。突然、ひらめくものがあった。篠宮が振り返る。
「そのときの自分のコンディション、海のコンディション、あとはライバルたちのコンディションなどを見ていたときに、『これは3つ出たほうが、自分が表彰台に立つチャンスがあるんじゃないか』っていう、予感みたいなものがあったんです。そこで大会直前に作戦を変えました」
果たして、結果は冒頭に記した通りの準優勝。篠宮のひらめきはズバリ的中した。
「この1,2年はずっと自分が苦手だったコンスタントノーフィンを強化してきましたが、自分が本来好きであるコンスタントウィズフィンや、深く潜るフリーイマージョンといった、好きなこともやらないと気持ちが持たない。得意な種目で100m前後を潜って一度リフレッシュさせる。そうすることで、また苦手なコンスタントノーフィンにも向かっていけるんだと思います」 3種目すべてに挑むことでそれぞれの記録に相乗効果が起き、その成果として、「昨年(2015年)は3種目総合で準優勝できた」と篠宮。現在は、「コンスタントノーフィンの記録をもう少し上げて、3種目総合での平均点を上げていこう。そんな考え方にシフトしてきています」

(左)バハマでの国際大会バーティカル・ブルーにて。エントリー直前の緊張感が伝わる1枚
(中央)怪しい美しさみせる海孔が、まるで選手たちを吸い込むかの如く、大きく口をあけている。
(右)3種目総合で堂々の準優勝を獲得した篠宮。

バハマで行われたフリーダイビングの国際大会、「バーティカル・ブルー(Vertical Blue)」での篠宮の活躍をまとめたビデオは必見!

“引き算”を選択できる、アラフォーアスリートの賢明

かつては得意種目を「フィジカルでガンガン攻める」スタイルだった篠宮が切り開いた新境地。そこには、年齢という要素が大きく影響していることは間違いない。
今年11月に40回目の誕生日を迎える篠宮は明かす。
「たぶん、どの競技のアスリートもそうだと思いますが、やっぱり35歳を過ぎたくらいから疲れが抜けにくくなってきました。しかも、1年1年の体の変化が質でも量でも大きくなっていく。35歳から36歳、36歳から37歳と、どんどん体の変化の振れ幅が大きくなり、加速していくんです」

篠宮は自らの肉体に起こる変化――有り体に言えば、衰えだ――を予想したうえで、トレーニングのメニューを組んでいるのだが、それでもオーバートレーニングになって疲れが抜けず、結局、試合までにコンディションが整わない。そんなことが起きるようになった。
「最近では、なるべく練習は軽くして疲れ残さないようにし、本番で爆発できるように試合直前のコンディショニングだけに集中したほうがいいかなっていう感じです」
そんなトレーニングの変化を、篠宮は「引き算」と表現する。
「20代後半とか30代の前半くらいは、毎年新しいトレーニング方法を取り入れる、つまり足していくことのほうが多かった。言わば、“足し算”のトレーニングです。他のスポーツ、例えばトライアスロンや水泳のトレーニングを真似して、これをフリーダイビングにも取り入れたら心肺機能が強化されるんじゃないか。そんな期待を持ちながらやっていました。でも今は、これまでずっと足し続けてきたトレーニングのなかから、疲れを残さないためにいくつか減らしていく。そういう“引き算”のトレーニングのほうがいいんじゃないかなと思っているんです」
何を基準に引き、あるいは残すのか。篠宮が続ける。
「要するに、何が本質的なものなのかってことです。ヨガやストレッチ、体幹トレーニングなど、基本になるものがやっぱり一番大事だと思います。難しいテクニックのトレーニングとかっていうのは、やっているときは自己満足につながるんですけど、それによって必ずしも結果が出るとは限らない。例えば、ヨガはベースとして毎朝やるとか、ランニングとかスイミングとか有酸素系のトレーニングは30分でいいとか。今までに蓄積してきたものを一度全部洗い出たうえで、これさえやっておけば試合では何とかなる、みたいな最低限のところだけを抑えておく。そういうトレーニング方法に変わってきました」

それまで続けてきたトレーニングを削っていくことに不安がなかったわけではない。だが、その不安よりも、「やり過ぎた結果、ケガや故障につながったり、トレーニングによって免疫力が低下し、風邪を引いたときに長引かせてしまったりするリスクを避けたい」という気持ちのほうが強かった。己の肉体と正面から向き合い、自分の能力を過信することなくたどり着いた境地だった。

「昨年のバーティカル・ブルーでは、直前に3種目出ることを決めましたが、自分のコンディションを見ながら、逆に、結構疲れがたまっているから3種目はキツいなとか、今回は1種目だけにしようということも当然ありうると思います」
篠宮は文字通り、「体と相談しながら」戦略を練る。自らを「アラフォーアスリート」と呼ぶ彼は、自分のこだわりだけを貫くのではなく、大会直前であろうとも戦略変更できる柔軟性を身につけたのである。
「フリーダイビングは自然が相手なので、天候の変化によってやろうと思っていたことができなくなることがある。そのためには、プランB、プランCを用意しておかなければいけない。そもそもそういう要素を含んだ競技です。でも、もしかしたら代替プランすら用意せずに行って、その場でライバルの出方や海の様子、自分のコンディションなどを総合的に考えて、どういう戦い方をしたら突き抜けることができるかっていうような、ある種、インスピレーションに頼った戦い方もできるんじゃないかなと思っています。もちろん、最初から何の目標も持たないというのはどうかと思うので、ある程度の目標は持ちながらも、その場の状況に自分を適応させていく。そういう戦い方も結構おもしろいなと思うようになりましたね」

ジャック・マイヨールに魅了された一人の青年は、アジア記録を何度も塗り替え、いまや、日本唯一のプロフリーダイバーとして次の世代に続く者たちを牽引する存在である。40歳になる篠宮が今なお肉体を研ぎ澄まし、過酷な競技に挑み続ける理由とは。篠宮のあくなき挑戦の物語は後編へと続く。

Special thanks : BREITLING (ブライトリング・ジャパン)
Text:Masaki Asada
Photo / Movie: apneaworks

INFORMATION

篠宮龍三

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